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  五條楽園って其の弐

481: 名前:mi投稿日:2002/10/17(木) 05:06
てつやさん
まさしく、「湯女」さんが言っているのはその橋です。
一昔よりは、吐息は聞こえなくなってきています。
それは、橋を歩いて居る時に、周囲の雑音に消されることなく、聞こえていたので(多くのお茶屋周辺で聞こえていた)自粛をする様に通達が有ったそうです。
やはり、子供が遊ぶ、一般の人が生活する、損な環境になってきたからでしょうね。
一時は、芸妓さんの吐息は、テレビの消音モードの様でしたが、最近は戻ってきています。
オキニの芸妓さんに「最近、他のお座敷からも聞こえる様になったね」と聞けば、「男さんのお床上手な人が増えはったんとちゃいますか?」なんて返事でした。
「お床上手な方が増えると、体力的にしんどいっせ」と付け加えられると、「ホンマかいな?」と思ってしまいます。
気候もよくなって、ご年配のお客様が元気になって、今週は忙しいご様子です。

サンダーバード2号さん。
結構なお歳と言われると、凄くショックです。
前にも書きましたが、私の幼児期のホームグランドは西陣で、何処に行くにも「シシトウ電車」が交通手段でした。
四条大宮周辺で、トロリーバスが走っていた記憶も蘇りました。
ここで、一言付け加えるとすれば、もみじの様な可愛いお手てを引かれての記憶です。
しかし、その十数年後には、五條楽園で遊んでいたとは・・・・・。

金魚の話題に関しては、私も認識を変えなければなりませんね。
この掲示板で、色々と教えられ、今迄の理解が間違って居た事が沢山ありました。
やはり、主目的は「五條楽園」の歴史などではなく、男としての遊び場だったから、聞いていたとしても覚えていない、目にしていても見えていなかったと言う事でしょうね。
今更の新発見は「新鮮」ですね。

T2さん、毎度の詳しい解説をありがとうございます。
ご紹介頂いたHPを拝見しましたが、言われる通りですね。
商業的な雰囲気の無いHPですね。私には想像も出来ないデザインです。
もたらされる色々情報で、五條楽園を意識されている様子が解ります。
そこでお茶やらお酒を愉しむお客様は五條楽園の事を知っているのかな・・・なんて事も思いました。
あの前を通って、お座敷に遊びに通う時、efishのお客さんの目がこれからは気になったりして・・。
五條楽園の芸妓さんから、そのお店が好きだと言っているのを聞
<省略されました> [全文を見る]

482: 名前:ゆずり葉投稿日:2002/10/18(金) 00:45
miさん、お世話になりました。無事、初登楼すませました。
以下、散文風で恐縮ですが、今回の京都の感想です。

本題の方は、大変よかったです。おしゃべりも楽しくて、
1時間もあっという間、ブザーが鳴ってしまいました。
床の間が、置物を含めて大変立派であったのに驚きました。
帰り道で、他の芸姑さんとすれ違いました。これもよいですね。

その前に、話題のe-fishで、時間調整のお茶を飲んでました。
店の中に金魚鉢や水槽がならべてあって、金魚が泳いでましたよ。
若い女性に人気のスポットのようで、他の客は大半は若い女性
でした。ゆえに、実態としてはその先の五条楽園とは切り離して
考えるべきなのでしょうね。ともかく、喫茶店として大変雰囲気がよく、
また行きたいと思いました。
ただ、miさんの書いてあるように、お店をでて左に向かうことに、
やや抵抗感を覚えましたが。

五番町は確かに再開発されて、昔の家は2,3軒くらいしかなく、
面影はないですね。
中書島にも行ってきたのですが、ここも面影はないですね。
橋本に行けばよかったのかな。

483: 名前:T2投稿日:2002/10/18(金) 01:31
ゆずり葉さん
お疲れさまでした (^-^)
感想の合間合間から、ご満足だった様子がうかがえます。
やっぱり金魚が泳いでましたか。 →efish
店を出てすぐ左だと、それなりに先のほうまで行かないとお茶屋に
行き着かないと思うので、あまりご心配なさらずとも・・・・

 ・・・・などと、苦しい言い訳をしてみたり。

484: 名前:mi投稿日:2002/10/18(金) 05:22
「ゆずり葉」さん、ご報告ありがとうございました。
本題の方で、ご満足頂けて良かったです。
毎回、自信を持ってはご紹介をさせて頂いていますが、やはり、女性の好みに関してはかなりの個人差が有るので、何時も祈る様な思いです。
最近では「どんさん」、「日雇いさん」とご紹介させて頂いて、ご満足頂き、大丈夫と思っていても・・・。
あの芸妓さんの、容姿、立ち振る舞い、お喋りとお楽しみの時の豹変するのも、私がご推薦する一つなのですが、お楽しみ頂けましたか?
私、心配で、しまい間際にお茶屋へと向かい、ご満足頂けたのか、確認してしまいました。
芸妓さんも、素敵なお客様で「大変良かった」と喜んでくれていました。
私も、お座敷に上がったからには一遊びとなって仕舞いました。
帰り際、芸妓さんが和服を整える姿を見ながら談笑していると「私の大切な所、褒めて貰って嬉しかった!」と満面の笑みが印象的でした。
しかし、あのブザーは頂けませんね。それが「トラウマ」になったT2さんも、興ざめすると以前に書いておられましたが・・・。
帰り際に他の芸妓さんを見かける事もしばしばありますが、「ムム・・・」と思う上玉もあり、地雷もありです・・。

e-fishでの実地検証をありがとうございます。
店を出て左に曲がるときに、若干の勇気が必要ですね。
その後に前を通る「交番」の前では何も感じないのですがね。

五番町の面影探しは、少し物足りないご様子ですね。
中書島もそうでしたか。
中書島に遊郭があったなんて、最近まで知りませんでした。
実は、私は生まれて3歳まで中書島でそだちました。記憶は無いのですが、セピア色の小さな時の写真にそれらしき建物が写っているのを、再確認しました。
父が、その頃京都では有名だった飲食店チェーンの板前だったので、その様な場所に店が有ったのだと、人生を折り返して気が付いた次第です。
やはり、生まれ落ちたときから、遊郭とは結ばれていたのかも知れません。

T2さん、それは苦しい言い訳だなぁ・・・。
でも、最近はe-fishへ向かう人も多い様だし、自分の気持ちに、「俺の家は南なんだよ」って言い聞かせて、平静を装って歩くしかないですね。
その「平静を装う顔」が実際には、「こわばっている」から、顔に書いてあるのと同じだったりして。
勇気の無い方は、高瀬川の西側を歩
<省略されました> [全文を見る]

485: 名前:ゆずり葉投稿日:2002/10/18(金) 08:57
レスありがとうございます。
今週は好天にも恵まれまして、本当によい時間をすごさせて
いただきました。必ずまた行きます。

中書島ですが、
「蓬莱橋を渡って袂(たもと)の見返り柳をくぐると、そこは異界だった。
壁面に赤や緑の色石を埋め込んだ洋館、その窓は妖しいステンドグラス。
向かいには遊廓特有の細かな格子のはまった三階家。。。」
という文章をwebで見つけて、それで行ってみたのですが、
少なくとも「異界」という感じは全くなくなっておりました。
ただ、駅から蓬莱橋までの駅前通りに、ナイトバー、スナックがびっしり
立ち並んでいる風情は、普通の駅前通りとは、およそ雰囲気が
違いびっくりしました。あの通りはなんなんだ。。。

また、ひとつお教えいただきたいのですが、
島原の揚屋さんの「角屋」、金沢の茶屋街で公開しているお茶屋さんの
中を見学したのですが、一つ一つの部屋が、案内する人の言う「宴会」
する場である、というほどにかなり広いのですね。
芸妓さんの踊りや音楽を楽しみながら食事をする場としては、納得
できるのですが、その後は、どうするのでしょうか。
本によると、宴会を楽しんだ後は、一晩過ごすための小部屋に案内
されることになっています。
金沢のお茶屋さんは3階は非公開でした。これはあやしい。
角屋には3階はなかったと思います。ここも非公開の場所が
あるのか。(2階の見学はしましたが、ここもえらく広い)
それとも、宴会の大部屋を屏風で区切るのかしら(これは大胆)。
もし、どなたかご存知でしたらお教えください。

486: 名前:ゆずり葉投稿日:2002/10/18(金) 13:18
トロさん、西口克己「廓」入手しました。
「スーパー源氏」というインターネットの古書検索で
チェックしたところ、その1軒が地元ということに気がつき、
出向いて購入しました。
でもこれは相当に読み応えがありそうです。
単刊本2段組で500頁の小説を読むのは、本当に久しぶりです。
でも、中書島には昨日行ったばかりですし、楽しみです。

487: 名前:mi投稿日:2002/10/18(金) 18:14
「ゆずり葉」さん。
これが、正解だと言い切れないのですが、「五條楽園」を例に取れば、その昔「お茶屋」で宿泊出来たかは定かでは有りませんが、一番古い建物の中には、大きな宴会場があったと思います。
そして、あの場所で育った私の高校時代の先生が言うには、ほとんどの「お茶屋」は今よりも大きかったそうです。
そう言えば、北の入り口付近の「お茶屋」も、今は全ての部屋が使われていないと思います。
その昔、私はあのお茶屋さんに入り浸って居たので、お客様が通されない部屋も幾つか知っていますが、大広間が合った様な気もします。
これは、最近仕入れた「お茶屋」の「お母さん」の話なのですが、何故お座敷がその建物の上に有るかと言うと、やはり外部の侵入が合った場合に、それを妨げるとか、多人数を侵入させない為に、階上に設置しているそうです。
今ならば、当局の手入れなのでしょうが、その昔からの建物なら、当局では無かったかも知れません。

多分ですが、金沢のお茶屋さんが当時のままの姿なら3階がその場所だったと思います。
そして、3階は、それぞれの娼妓の「住まう部屋」兼「仕事部屋」だったと思います。
それは、最近のレスで「湯女」さんも書いていましたね。
「五條楽園」では、その様な部屋は建物の奥に有ったのでは無いかと思われます。

それから、これも以前のレスでT2さんが書いていらっしゃいますが、宴会場で芸を見せていたのは「芸妓」であり、その芸妓が、お床のお相手はしていなかったと思います。
芸妓に対して娼妓が存在していて、その方が、お酌の相手と、お床の相手をされていたのではと思われます。

さて、五條楽園を描いた小説ですが、此は「五條楽園」が最近の形態を取った後の物語りです。
今より、賑やかだった頃の「五條楽園」の風景が読みとれます。

作者 吉野 光
題名 棹花 (とうか)
出版 講談社
2001年12月7日 第一刷発行

以上です。

488: 名前:てつや投稿日:2002/10/18(金) 22:43
こんばんわ、475>東山さん、私が初めて五条楽園で遊んだのは北の端のAでした。東山さんには合わないお店みたいですね。なぜ、Aに入ったかというとあの店が私的には一番親切に感じたからです。遊びたいけど入る根性がない、そんな時に向こうから声を掛けてくれて、しかも他のお店はあまり細かく料金やシステムを教えてくれなかったのにAは向こうからそれらを教えてくれました。後から肩を押してくれるというヤツですかね?miさん、そういえば北の端のお店は河原町側は閉鎖してるのでしょうか?それと、棟続きの教会もどきもあのお店なんですか?

489: 名前:ゆずり葉投稿日:2002/10/19(土) 00:41
miさん、レスありがとうございます。
「棹花 (とうか)」は、どうやらまだ新刊の本屋にもありそうですので
(Yahooで在庫あり)、さっそくチェックしてみます。

やはり、金沢のお茶屋さんで3階が非公開なのは、そういう部屋が
あるからだ、と推測してよいのですね。
また島原の角屋は、あれだけの規模ですから、非公開のそういう部屋が
どこかにある、と考えたほうがよさそうですね。

その当時の状態のその部屋をみたい、と思ったら、やはり五条楽園
のお茶屋さんなのでしょうね。
次回は古びた建物ねらいということで。
建物にこだわってすみません。関東にはないもので。

雑談ですが、このまえ角海老という、関東では最大のチェーン店
(soap land)に行ってきましたら、受付のところに、
明治44年の吉原炎上で燃えてしまう前の、3階建てで時計台が
ついている巨大な「角海老楼」の写真が飾ってありました。
少し感動しましたね。本ではその写真は見ていたのですが、
現役のお店に飾ってあるとは。。。

490: 名前:T2投稿日:2002/10/19(土) 01:23
miさん
まったくもう、今度はゆずり葉さんまで巻き込んでからに・・・・ (-_-;)
「棹花」ではなく「棹歌」ですがな。

私も大いに興味があるので、週末に神保町をあたってみることにしましょう。

491: 名前:mi投稿日:2002/10/19(土) 05:11
T2さん ご指摘痛み入ります。
そうですね。「棹歌」ですがな。
別に、勧誘している訳ではないのですが・・・。
何せ、性格が「雑」なもので・・(時間も無いのだ!って 言い訳です。)

492: 名前:K3投稿日:2002/10/19(土) 10:11
miさん
「棹歌」は面白そうな本ですね。
インターネット書店でさっそく注文しましたが、在庫は僅少だそうです。
どんなんかな?

「てつや」さん
北の端のAには以前よく通っていました。
あのお姉さん方ともすっかり顔なじみです。
お姉さまとのやりとりも楽しいものですが、若い人だったら
あの気迫というかパワーに負けるかもしれません。
受け流せるのは年の功かな。
彼女らもそれで生活の糧を得ているので少し大目に見てやって下さい。
私専用のタオルと石鹸も彼女に預けてあります。

Aの内部の造作はとても凝った創りです。
普段はメインには使っていない部屋も見せてもらったことがありますが、
和洋折衷というか、窓とか扉もデザイン的に凝ったものです。
miさんがご幼少の頃、遊んだという広間は洋式で、壁にも装飾が施されています。
(多分あの広間で間違いないと思います)
現在はその広間の中に純和風の部屋が2部屋造り込まれています。
奥の部屋は多分五條楽園でも一番広い部屋で、10畳位はあり、床の間も立派なものです。
Aの河原町通り側は現在閉鎖されていますが、こちらからの方がお茶屋さんらしい感じがします。
この閉鎖されている裏口の南側にある「教会もどき」は古いAです。
「教会もどき」の印象を与えるのは、ステンドグラスのせいですね。
4枚の窓にそれぞれ芸妓さんと思われる女性が一人づつステンドグラスで描かれています。
五條楽園には他にもステンドグラスの窓がありますが、
この窓が一番立派です。芸妓さんをモチーフにしたステンドグラスが
未だに現役で残っているというのは日本でもここだけではないでしょうか。
少し大げさではありますが、一見の価値はあります。
近くのお茶さんのお母さんによると、写真を撮りに来る人も時々いるそうです。

493: 名前:どん投稿日:2002/10/19(土) 13:21
本や小説のことで話が盛り上がっていますね。私も「廓」是非読みたいと思っています。この作品は
昭和31年の直木賞候補作品ですが、なぜか現在は文庫にも入っていませんね。
図書館にありそうなので早速借りたいと思っています。

 さて、そんなこんなで皆さんの話題に追いつけるよう今は「五番町夕霧楼」を読み返しています。
五番町は私の住んでいるところから自転車で10分くらいの近くなので親しみがあります。

 それと、あわせて、「吉原はこんな所でございました」福田利子/現代教養文庫・社会思想社を購入してきました。
これは大正末期から昭和、戦後までの花街としての吉原を内で働く作者の目からみた変貌の書です。
 先週みた溝口の「赤線地帯」の関連もあるでしょう。これから楽しみに読みます。

 さて、一方建物の話題もありますね。私は五条でも最古といわれるH/Mしか知りませんが、
もっと古いところがあるのですか。ぜひ行きたいですね。話題の北の端のAは古い部屋が使えるのでしょうか。

494: 名前:ゆずり葉投稿日:2002/10/19(土) 13:52
私も結構凝り性でして、花柳小説でネット検索をしてみましたら、
アーサーゴールデン著「さゆり」という祇園を舞台にした小説が
ひっかかりました。99年だったかな、どなたかお読みになった方
おられますか。
>どんさん、「吉原はこんな所でございました」は私も読みましたよ。
ぜひ感想をお聞かせください。

495: 名前:MOS投稿日:2002/10/19(土) 16:35
みなさま、こんにちは。久々にゆっくりしてるので、書き込みします。
miさんに7月くらいにメール相談してからご無沙汰です。
8月ごろ時間がたまたまあいたので、散歩のつもりでしたが
勇気を出して初めて行ってまいりました。お茶屋さんはN/Mです。
お母さんはホントに気の優しい感じの方でした。miさん、T2さんの
アドバイスどおり好みを伝えました。
遊んでいただいた、お姉さんは、まだ、新しい方のようで、洋服でした。
浴衣が見れなかったのが残念でしたが、話し好きの方でしたので、
初めてでも楽しい時間が過ごせました。
待ち時間の間、のどだけ乾いてお茶ばかり飲んでましたが、
芸子さんもやっぱり、扉を開けてお客と顔をあわせる時は、
ほんとにいつもドキドキしますっておっしゃってました。
今度はいつになるのかわからないですが、芸子さんの着物姿を
拝見しにまた、行ってみようと思います。

496: 名前:T2投稿日:2002/10/19(土) 18:32
MOSさん
楽しいひとときだったようで、何よりです (^-^)
芸妓さんは、皆さん必ずしも話し上手の方とは限らないようで、以前私がH/Sで
お呼びした方とのお座敷では、通り一遍の世間話程度で「稍重」な時間が流れて
いたのですが、帰り支度が始まってから偶然共通の話題が見つかり、彼女の表情が
ぱあっと明るくなったのを思い出します。
コトに及ぶ前にそれを見いだしていれば、お互いもっと愉しいひとときになったのに、と
あとになって口惜しく思ったものですが、ことほど左様にいい勉強をさせてもらっています (^-^)

五條楽園の醍醐味は、なんといっても「着物」。
チラリズムの極致を、ぜひご自身の目で確かめてきてください。

497: 名前:mi投稿日:2002/10/19(土) 18:40
どんさん、お久し振りです。
Mailを送ったのですが、到着していませんか?
お返事をお願いしたいです。
それからH/Mですが、その建物が一番古い筈です。
それから、お茶屋Aは、幼少(K3さん、子供の時に遊んでいた訳では無いですよ、あの頃は20歳直前だったばすです。)の頃は、たまに使われていた様ですが、ほとんどお休みの芸妓さんとかが遊んでいた様に思います。
今どうなっているのかはK3さんが詳しいと思います。
それから、H/Mではないと思います。多分H/Sでは無いでしょうか?

K3さん、艶の部分はほとんど無い小説です。
その中で、五條楽園で働く芸妓さんが中盤以降登場します。
私の聞いていた「五條楽園」の話と、非常に似通っているので、作者は随分と調査されたと思います。
特定のお客の為の芸妓の存在が見え隠れしていると私は感じましたが・・・。
それから、ステンドグラスですが、作成中の「五條楽園って」のホームページでご紹介する予定です。
カメラマンについては、ホームページでご紹介致します。

MOSさん、お久し振りです。
お元気の様で良かったです。
最初が肝心な「五條楽園」で、楽しい遊べて良かったですね。
最近、楽園の芸妓さんの「きもの」が艶やかになってきましたね。
私としては、落ち着いた上品な「きもの」が好きなもので、余り喜んでは居ないのです。
「きもの」は色の組み合わせで、美しさを醸し出すものと思って居ますから、洋服感覚の色使いで、帯も何となく合わないなぁ・・と、道行く芸妓さんを、一人で評論しています。
それも、あの吐息の聞こえる橋の欄干にもたれかかってなので、知らない人が見ると「危ない」と思われているかもしれません。
やはり、秋の雰囲気で、きものを選んで頂いて、色気は帯で漂わせて、なんて思っています。
それと、足袋は白が原則です。汚れた足袋は色気を半減させますね。

498: 名前:てつや投稿日:2002/10/19(土) 22:59
こんばんわ、パート2を始めからパラパラと見てたら8月頃の書き込みに客引きの事がありましたが、私は何回か言った様に夜によくほっつき歩きますがそんな客引きは見たことないです。それと、夜の散歩に関して、先日また夜の散歩をしてたら、は○○ものお母さんに声を掛けられました。まあ、お互いにこんばんわと挨拶しただけですが。あのお店のことはまだこのスレに出てきてないように思うのですが、感じのいいお母さんでした。

499: 名前:てつや投稿日:2002/10/19(土) 23:13
492>k3さん、Aは私は評価してますよ。大目に見るもなにも、特にチリチリパーマでない方のお姉さん(多分、僕と同世代か)はこの人が相手してくれたらと思いましたよ。

500: 名前:K3投稿日:2002/10/20(日) 01:10
「てつや」さん
私もチリチリパーマでないお姉さん(Mさん)の方がウマが合い、上がりもしないのに話し込んだりします。
一度、お座敷で芸妓さんの好みを聞かれた時に、「あなたにお願いしたい」と
本気で言ってみました。まんざらでもなさそうでしたが、結局は断られました。
もっと押したら違う結果になっていたかも。

過去レスには、このお姉さんたちにあまり良くない印象を持たれたようなレスもありました。
特に若くてシャイな人には合わないかもしれません。
これは場数の問題でしょうかね。「てつや」さん。

お茶屋Hには頻繁に通っています。予約の電話で、「もしもし」と言っただけで
「まいど」と言われます。今のオキニに最初に出会ったのが、Hだったのでオキニを呼ぶ時は
今でもHにしています。

501: 名前:mi投稿日:2002/10/20(日) 04:39
「てつや」さん、夜の見廻りり御苦労様です。
夏頃に話題に上った客引きの話ですが、今は無き「高瀬川会館」の前のおばちゃんの事ですよね。
「てつや」さんが何時頃に見廻りをされたのかですが、「は○○も」の「おかあさん」ともご挨拶されているので、23:00より前だと思います。
記憶が曖昧なんですが、「五條楽園」の営業時間外の方が、そのおばちゃんの活動は活発だった様に思います。
実際、ベースになる建造物が無くなったのですから、暫くは活動していたけど、もう出来なくなったのかも知れませんなぁ。
この「客引き」に関しての謎は、結局「迷宮」となってしまいそうですね。

「は○○も」のお姉さんは、僕もよく知っています。
私は「お茶屋」をあまり替えないタイプなので、3年位は「は○○も」に通いました。
その頃は、多分話題になっている「×××み」のお姉さんと同じ様に「貴方が相手してくれるのでは?」と思わせる容姿だったと思います。
そう言えば、あの頃は何処の「お茶屋」も客引き道端でしていたから、若い(今より15年〜20年前)から、私としては入り辛い状況でした。
それは、現在の「×××み」のお姉さんに、若い人たちが敬遠してしまう理由と同じでしょう。
そんな中で「瓢箪(もう、無くなりました)」のお母さんが年配で、安心して入れたので、最初の1年はそこでしたね。
「瓢箪」は奥に長い「お茶屋」だったと記憶しています。
ご紹介した「棹歌」に出てくる雰囲気だったような気がします。

それにしても、無くなっていった「お茶屋」のお母さんは、その頃みんな落ち着いておられた所ばっかりだったのかも?
「お茶屋」全盛期の頃の地図等を入手出来たら、もう少し明確に「昔」が解るかもしれませんね。

502: 名前:mi投稿日:2002/10/20(日) 04:42
「どん」さん、Mailを再送致しております。
今度は、到着していますか?
「どん」さんから頂いたMailの返信で送っておりますので、アドレスに間違いは無いと思います。
ご確認をお願いします。

503: 名前:どん投稿日:2002/10/20(日) 07:37
miさんへ 済みません。届いていません。念のため 掲示板の公開メールの方でも
お願いします。

504: 名前:mi投稿日:2002/10/20(日) 12:12
どんさん。
何度も申し訳無いです。
公開メアドへ送信致しました。ご確認ください。

505: 名前:どん投稿日:2002/10/20(日) 18:13
皆様にお詫びがあります。

映画「赤線地帯」の監督は溝口健二ですが、「東京物語」の監督は小津安二郎です。
改めて訂正します。
 ところで miさんメールが届きません。

506: 名前:mi投稿日:2002/10/20(日) 18:46
どんさん、再度送信させて頂きました。
同時配信で自分にも届く様に設定しました所、自分の所には届いています。
携帯の方にも送らせて頂きました。
ご確認下さい。

507: 名前:mi投稿日:2002/10/20(日) 18:59
済みません、数レスを連絡に使ってしまいました。
現在フォーラムの最終日程の調整を行っておりますので、その連絡なのですが、申し分けないです。
T2さんに指摘される前に、私から自己申告をしておかなくてはなりません。
先のレスで>501で、管理人さんにまたご迷惑を掛けてしまった様です。
私の気付かない間に、訂正して頂いた様です。

前回のフォーラムの時に、次回は「時代祭」と言ってましたが、もうすぐ目の前に迫ってきました。
時代祭は「遊郭関係」の衣装は無かったですよね?
京都に住まいながら(恥ずかしながら時代祭運営スタッフもしていたのに・・・)も、どんな行列なのか、よく知らない有様です。
「五條楽園」で花魁道中なんて、企画は出来ないのかなと、ふと思っています。
そんな衣装をレンタル出来る所をご存じの方いらっしゃいますか?
こちらに引っ越して、早くも500レス達成ですから、何かイベントでも出来ればと思っています。

どんさん、もし届かない様でしたら、私の個人アドレスまでPCからMailをください。

508: 名前:チョモラン投稿日:2002/10/20(日) 21:31
ご無沙汰しています。チョモランです。
なかなかコンスタントに書き込みができません。五條への想いをみなさんと意見交換したく思っているのですが。
今後もできるだけ書き込みますので、よろしくお願いします。

さて、今日、雨が降る中、久々に行って来ました。2か月ぶりぐらいでしたが、やっぱり五條はいいところだと実感しました。
相手はオキニ。とても気が合うのでとっても癒されます。

でも、新たな出会いが欲しいもの事実。次回は、久々に新しいオキニを探すため、近日中に行こうと思っています。

509: 名前:mi投稿日:2002/10/21(月) 09:39
チョモランさん。お久し振りです。

日曜日のご報告ありがとうございます。
雨の「五條楽園」は如何でしたか?傘を持ちお茶屋へ急ぐ芸妓さんとはすれ違ったりはされませんでしたか?
雨で無い日は「草履」なんですが、雨の日は「下駄」なので、余計に情緒を感じます。
気の合う「芸妓」さんと過ごす時間は、何者にも代え難い時間ですよね。
それは、私も同じです。
そろそろ新しい出会いですか?
良い芸妓さんに巡り会える事を願っています。

どんさん、やっと連絡取れましたね。お世話掛けました。

510: 名前:てつや投稿日:2002/10/21(月) 14:19
こんにちわ、来週あたりに遊びに行こうと思います。またその時はご報告します。


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