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  五條楽園って其の弐

421: 名前:てつや投稿日:2002/10/08(火) 00:37
松嶋奈々子さん、ありがとうございました。でも、やっぱりようわかりません。(悩み)

422: 名前:てつや投稿日:2002/10/08(火) 00:41
あと、もうひとつ初歩的質問を。オキニって、お気に入りのことですよね?

423: 名前:K3投稿日:2002/10/08(火) 01:03
その通りです。

424: 名前:東山ノボル投稿日:2002/10/08(火) 12:46
先日二度目の訪問をしてきました。
お茶屋も同じN/Mさんで、お母さんも「こんにちは」と向かえてくれて、世間話も
少しばかり出来ました。
ただ芸妓さんは、地雷とまでは言いませんが×でした。
でも私の好みと少々違っていたということで、まあ、これもここならではこと。
反って次回に期待する意気込みが強くなりました。

425: 名前:よっすぃ投稿日:2002/10/08(火) 15:06
こんにちわ。五条デビューして、早半年。
もう8回にもなりました(笑)
僕も、上のノボルさんと同じくN/Mを利用してます。
オキニもできまして、毎回行くのを楽しみにしております♪

ところで、miさんにお聞きしたい事があるので、
メール出してもよろしいですか?

426: 名前:湯女投稿日:2002/10/08(火) 15:44
何度も何度も通っていらっしゃるmiiさんでも、気合いを入れないとお茶屋には入れないご様子です。
mi さんがそうなのだから、初めての方はなかなか入れないのも当然ですね。
その点、女は度胸があるのか、「入る」って決めるとためらいません。
そうでないと、バーゲンのワゴンセールは勝ち抜けませんからね。
もし、 私がmiさんの手を引いてあげたら、1週間に10日でもお座敷に来ていただけたでしょうに、今は京都から遠く離れた温泉場に居りますので、残念です。
これからは、カニが美味しいくなり冬の間のお客様で賑わいます。
来て頂けるとのお言葉ですが、お逢いするのは気恥ずかしいです。
フォーラムに参加させて頂きますので、それまで待っていてください。
その時、お教え出来ればと言う事で・・・。
それから フォーラムの幹事の件は、遠く離れておりますので、出来れば京都在住の方にお願い出来ませんでしょうか?。

ぽてとさん、拙い私の文章をお褒めいただいて、有り難うございます。
たまに、元々の男気が騒いで血の気が多く なる事がありますが、その辺はどうぞお見逃しを。
歌舞練場では、そこの三階で三味線のお稽古をしていました。今もそうだと思いますが。
古びた急な階段が長く続き、息をつかないとあがれないのです。
その度に、もう若くはないのね・・と、歳を感じたりしたものです。
そんな記憶だけが歌舞練場の思い出として残っています。

日雇いさん、
> 湯女さんのような女(ひと)に巡り逢いたいのですが
だなんて、まだお逢いした事もないのに、おこがましいばかりです。
本当に有り難うございます。
でも、実際は凄い地雷だったらどうしますか?
日雇いさんの思いを実現してくれる芸妓さんに巡り会えるといいですね。
私が思うに、五條楽園のデビューの背中を押して下さるのは多分miさんだと思います。
以前のレスで、miさんの情報で楽しめましたと書かれているレスが幾つかありました。
miさんは、五條楽園入門手引きとしては実績もあるようですし、連絡方法もありますから、miさんに相談してみられては、いかがでしょうか。
miさんのへの連絡方法ですがmiさんの名前をクリックするとメールアドレスが解ります。
きっと素敵な五條楽園デビューになりますよ。
デビューはやはり雨の日になるのでしょう
<省略されました> [全文を見る]

427: 名前:mi投稿日:2002/10/08(火) 18:51
「よっすぃ」さん。
Mailは送って頂いても構いませんよ。
但し、この掲示板でNGでは無い話ならば、掲示板でお願いしますね。
Mailをお待ちしています。出来れば、送られた時に「送りました」と「カキコ」わして頂ければ非常に有り難いです。

「東山ノボル」さん
西○○さのお姉さんと世間話が出来る様になったとご報告を頂きました。
地雷ではないけれど「地雷もどき」でしたか?
どうですか「フォーラム」にいらっしゃいませんか?
色々と情報が飛び交いますよ。耳をダンボ(こんな表現は今はしないのかな?)にして居ないと聞き逃しますが、お茶屋10回通う程度の情報は有ると思います。
時期的には、12月の中旬になる予定です。

「日雇い」さん。
「五條楽園」デビューのお手伝いをさせて頂きましょう。
この後のレスに、情報提供の為のルールを書きますので、ご理解下さい。

「湯女」さん。
では、フォーラムでお逢いしましょう。
湯女さんに手を引かれたら、100回でもお茶屋の暖簾をくぐって居たかも知れませんね。
是非、蟹を味わいがてら、温泉場にもお伺いしたいものです。
お逢い出来る日を楽しみにしています。

428: 名前:mi投稿日:2002/10/08(火) 19:00
「mi」のMail情報提供に関して。

miの情報提供は、「五條楽園って」の活性化、及び、賑わいの為に行っているものです。
情報提供の最低条件は以下の通りです。
@「五條楽園って」の掲示板に3回以上投稿をされた事の有る方。
Aフリーメールでは無く、プロバイダーの個人アドレスで連絡出来る方。
B情報提供後も「五條楽園って」に投稿を継続して頂ける方。
上記の条件を満たして頂ける方に対して、情報提供を致しております。

フリーメールor個人メールの見極めが困難になってきておりますので、ご契約のプロバイダーのホームページアドレスもご連絡頂けると有り難いです。
Mailアドレスとハンドルネームが異なる場合は、ハンドルネームを必ずお知らせください。

rakuenannai@hotmail.comで、受け付けております。

429: 名前:T2投稿日:2002/10/09(水) 01:22
慰安旅行なんていうものが、まだ残っているのですね。
置屋ごとにやるのかな。

430: 名前:T2投稿日:2002/10/09(水) 02:50
miさん
五條橋下に太夫はいたのか?というご質問ですが、結論から言うと
島原と吉原以外に太夫はいません。
京の色街組織は島原を頂点にピラミッド型の構造を成していました。と言うより
島原が他の全ての遊廓を統轄していたわけです(鑑札発行業務なども行っていました)。
で、島原のなかでもその頂点に君臨するほんの一握りのスーパーエリート遊女こそが
太夫なのです。ゆえに、下部組織である五條橋下や七條新地に、太夫は
存在し得なかったのです。

さて、太夫という身分が初めて生まれたのは、島原遊廓が現在地に移る直前、
「六条三筋町」にあったころのことです(この名前、確か過去レスに出てきましたよね)。
慶長年間(関ヶ原の合戦前後)に、六条三筋町の遊女が四条河原町で女歌舞伎を
催した際、最も高い評価を得た者に対してこの呼称が付けられたと言われています。

431: 名前:mi投稿日:2002/10/09(水) 10:02
T2さん、慰安旅行に関してですが、最近復活した模様です。
私の知る限りでは復活して、今年で2回目だと思います。
何名の芸妓さんが参加したのかは知りませんが、大多数が参加された様です。
企画は、芸妓組合(名称は不確かです)が企画した模様で、置屋とか、お茶屋は余り関係の無い様子です。
多分、その為の積み立てなんかもされていると思います。

それから、太夫の事は解りました。日本で唯一の太夫は、島原と吉原にしか居なかったのですか。
そのころから、娼妓の上下関係と言うか「ランク」があったと考えても良いのでしょうね。
今も、昔もそうなのでしょうが、人間は「プレミア(希少価値)」に対しての欲望が強いようですね。
そして、本来は性的欲望を満たす場所だったのに、そこに、何かしらの文化を創り上げて、それを高めようとする。
それは、働く側にとっての社会地位の確立とともに、遊びに行く男達にも、大義名分を与えたのでしょうね。
「湯女」さんのレスにも書かれていた様に、やはり、「女遊び(現行は「風俗」と言うのでしょうか)」は、男にとって後ろめたいものですね。
未だに、私も「お茶屋」の暖簾をくぐる時に、勇気がいります。
それは、自分の「恥ずかしい部分」を人に晒す勇気とでも言うのでしょうか?
中学、高校の頃、本屋で「エロ本」を買う時に、何故か遠くの本屋に自転車で出掛けて、小さな、そして、「おじいちゃん」や「おばあちゃん」のやっている本屋で買った記憶が有ります。
それは、年老いていたら、寛大だろうと思ったのか、それとも、そんな経験を今迄に幾度もしてきて解ってくれるだろうと思ったのか、その辺の感情は定かではありません。
「五條楽園」の暖簾をくぐる時にも、それと似通った思いを感じています。
そして、暖簾をくぐると、優しいお母さんの声で迎えられる。
そこへ訪れた目的も、全部知っていて、決してそれを刺激するよな顔や言葉を掛けない。
それが、男として当たり前と、お母さんは受け入れてくれます。
もし、「お母さん」が男性ならどんな気持ちになるのだろうと考えた事があります。
多分、今よりも、恥ずかしさも有るだろうし、後ろめたさもも増すでしょうね。
男を受け入れてくれる、「女」社会だから、相手をしてくれる「女性」と同じお母さんだから、安心出来る気がします。
そこに、何かしらの
<省略されました> [全文を見る]

432: 名前:東山ノボル投稿日:2002/10/09(水) 16:27
miさん
お誘いありがとうございます。
「お茶屋10回分の情報」とは、捨てがたいですね。
スケジュールの都合で行けるかどうか分かりませんが、参加を前向きに
考えたいと思います。勝手ながらドタキャンもありってことでお願いします。

433: 名前:mi投稿日:2002/10/09(水) 18:36
東山ノボルさん。
まだまだ、何処でするのかとか決まっていないから、何とも言えませんが、鍋だったら、何とでも対応出来るかなと思っています。
実際には、「幹事」さんの判断ですが、多分OKだと思います。
私も、是非お会いしたいので、参加して下さい。

今回は、「フォーラム」の開催要項を「五條楽園って」のホームページ(只今作成中)で、お知らせする予定です。
多分、「フォーラム」のご案内がメインのホームページになると思いますが、完成するまでは、限定公開となる予定です。
閲覧方法等は、決まり次第お知らせ致します。

434: 名前:Cool投稿日:2002/10/09(水) 19:54
<管理者により削除>

435: 名前:てつや投稿日:2002/10/09(水) 22:54
こんばんわ、今夜も楽園を散策しました。ついでに自分なりの楽園地図を作ってきました。歌舞練場の辺りにお茶屋さんが集中してるんですね、ところで今夜歩いてたら芸姑さんとすれ違いました。すごくかわいい子でした、指名してみたいけど名前が分からない。道で芸姑さんに声かけて名前を聞いてもいいものでしょうか?

436: 名前:mi投稿日:2002/10/10(木) 12:01
「てつや」さん
夜の五条楽園のお散歩良いですね。
ご自分で「五条楽園」の地図を作られたの事ですね。歌舞練場の付近に多く残りましたね。
昔は、高瀬川沿いはすべて「お茶屋」だったと思います。
川の東側にも7〜8件は営業中では無いでしょうかね。
かわいい芸妓さんを散歩の途中に見つけられたご様子ですね。
それは、良かったです。
何処で見かけられたのか、どんな雰囲気だったのか、それが解ればずいぶんとその芸妓さんを絞り込めると思います。
それから、道で芸妓さんに逢った時に関しては、
>361で湯女さんが書かれているので、ご参考にまでに読んでください。
しかし、暗がりで声をかけられると「びっくり」なんて事もあるので、明るいところが良いでしょうね。

437: 名前:よっすぃ投稿日:2002/10/10(木) 17:22
miさんへ
メール遅らせてもらいました。

438: 名前:mi投稿日:2002/10/10(木) 21:05
よっすぃさん。
Mailを「遅って」貰いました(またもや、弟子が出来た様な気がします)。
チョット時間下さいなぁ。

今度の土曜日に「五條楽園」に遊びに行こうと思っている方、2のつく日はお休みです。
今度の土曜日は、行っても「真っ暗」ですから、ご確認をお願いします。
通いの芸妓さんは、「日曜日」はお休みの人が多い様なので、お母さんに充分、自分の好みを伝えて下さいね。
それから、もし、「地雷」と思ったら、「チェンジ(有料です)」が出来ますから勇気を持って言ってください(自損金は一席の席料だけのはずです)。
もし、その日は撤退と思ったら、即座に撤退もOKです。
株価も下がる一方のご時世ですから、軍資金は大切に使ってください。
そして、良い芸妓さんを見つけたら、絶対に名前を聞いて覚えておいてください。
それを「フォーラム」でご報告頂ければ、とっても嬉しいです。

ご報告を待っています。

439: 名前:mi投稿日:2002/10/10(木) 21:07
追伸
絶対に、実名で、この「掲示板」への報告は辞めて下さいね。
あまり<管理者より削除>を増やしたくはないので、ご理解下さい。

440: 名前:てつや投稿日:2002/10/10(木) 23:59
こんばんわ、今夜はキコク食堂に行ってきました。(ここは実名OKでしょうか?)腹こなしに散策しましたが昨夜の子は会いませんでした。ちなみに10/9の夜九時頃にM倶楽部の前で会いました。M倶楽部より東から歩いてきて、鮮やかな空色の着物を着ていました。行き先は歌舞練場方面でした。これくらいでは絞込みの参考になりませんかね?もう一度会いたいものです。

441: 名前:mi投稿日:2002/10/11(金) 09:16
てつやさん。
空色の着物ですね・・・・。先日、私が車で通りかかった時には、黄色の着物の肩までぐらいの髪の毛の可愛い芸妓さんを見かけました。
原色系の着物はだいたい「か○○き」の芸妓さんに多い様な気がします。
次回、お茶屋に行った時に、お母さんにリサーチしてみましょう。
置屋の中で、着物の貸し借りしていなければ、随分と狭い範囲にまで絞り込めると思いますがね。
実際にご覧になった「てつやさん」が、お茶屋に行って、「先日見かけた・・・」と事情を説明すれば、多分その芸妓を呼んでくれると思います。
「てつやさん」の何時も行かれている「お茶屋」のお母さんに聞くのも一案です。
但し「聞く」だけでは無く、遊ぶ事が前提ですがね。
そんな可愛い子だったら、売れっ子さんだろうから、競争率は高いかもしれませんがね。

しかし、頻繁に「五條楽園」の散策にお出掛けのご様子ですが、近辺にお住まいなんですか?
「キコク食堂」の実名は、営業妨害にならない投稿ならOKでしょ。

442: 名前:日雇い投稿日:2002/10/11(金) 19:32
miさんへ
メール送らせて頂きました

443: 名前:てつや投稿日:2002/10/11(金) 22:27
こんばんわ、そうですね、人気者かもしれませんね。ちなみに平日しか行けないのですが、平日昼間は込み合うんでしょうか?あと、私は滋賀に住んでますので、湯女さんのおられるエリアにも行きます。

444: 名前:どん投稿日:2002/10/11(金) 22:39
情報です。京都付近限定ですが。明日、12日 京都文化博物館で『赤線地帯』
1956年大映東京作品/監督:溝口健二/出演:京マチ子、若尾文子が上映されます。
ここは、昔の映画をシリーズで毎日やっているらしいのです。はじめてですが、
明日 観に行く予定です。
 映画といえば、「五番町夕霧楼」あたらしい版ではなく、佐久間良子の古い版が
DVDで最近発売されたらしいのです。
昔 観て感激したのでぜひこちらも手に入れたいと思っています。

445: 名前:どん投稿日:2002/10/12(土) 22:27
誰も書き込みがないので連続になりましたが、今日映画をみてまいりました。

  1956年といえば 売春防止法の成立の年。舞台は東京・吉原でした。

 経営者は防止法反対、そこで働いている女性は借金が棒引きになるという
うわさやらで賛成の者も多い。しかし、それでも商売がなくなればどうして生きていけばいいか
わからない。いまさら気質になっても稼ぎが知れている、それに社会は元何々という差別で
冷たい。

  そんな中で たくましく生きていく女性の姿を描いた社会派の映画でした。
「東京物語」のあの溝口のものとは思えない意外な作品です。

 現代の女性は あの頃とは どう変わったのでしょうか。

446: 名前:てつや投稿日:2002/10/13(日) 01:15
今夜は静かな楽園を散策しました。特に声を掛けられる事もないのでのんびり歩けました

447: 名前:ぽてと投稿日:2002/10/13(日) 11:35
 K3さん、湯女さんご回答ありがとうございます。
 歌舞練場の三階が舞台で、そこでお稽古というのはいうのは、ちょっと驚きです。今度、古びた長く続く階段を上がられる芸妓さんを思いながら、歌舞練場を見てみたいと思います。中もみたい気持ちが...
 湯女さんの五條想出エピソード2も期待してしたりして(^^;

「東京物語」は多分、ローアングルのカメラで日常を撮り続けた小津安二郎だったと記憶しています。その映像は普段の様子を描いていながら、時折ぐさりと心に何か迫る作品だったように思います。

448: 名前:ゆずり葉投稿日:2002/10/13(日) 23:49
ようやく、来週の水曜か木曜あたりに行けそうです。
miさん、メールの件、ご教示のほどよろしくお願いいたします。

五番町夕霧楼の小説は、読みましたが、
「千本中立売から、西へ約一丁ばかり市電通りを北野天満宮に
向かって入った地点から南に下る、三間幅ほどしかない通りである。
この通りは、丸太町まで千本と並行してのびているが、南北に通ずる
この通りを中心にして、東西に入りこむとおりを含めて、およそ二百軒
からなる家々はみな妓楼だった。」
とのことですが、これは六軒町通ですか?
この小説のこの部分は、事実なのかしら?

449: 名前:mi投稿日:2002/10/14(月) 11:17
ゆずり葉さんへ。

五番町の事ですが、私は幼い頃、その周辺で育ちました。
今も面影を残す建物は幾つかあります。
五番町は、千本中立売(「せんぼんなかだちゅうり」と読みます)から、南西の一角に有った様で、レスに書かれていた通りだと思います。
その昔、現在の繁華街「四条河原町」を凌ぐ、京都の繁華街として栄えていました。
はやり地場産業の「西陣織」の問屋などが、狭い通りにひしめき合い、夜は、千本中立売の西南の五番町と東北の飲み屋やストリップ小屋などが、男の遊び場として栄えていたようです。
今では、映画館も2軒と減りましたが、昔は多くの映画館もありました。
京都では、大きな通りの名前から、上がる(北へ)一つ目とか、下がる(南へ)一つ目とかの表現が多用されるので、通りの名前では記憶していません。
六軒町通りは、五番町の有る場所から一筋西だと思いますが、そこにも遊郭が有ったかどうかは不明です。
私の幼い時の記憶では、その周辺一帯が、他の家の造りとは違っていた様に思います。
これは、現在残っている「五條楽園」の建物では「本○○○」が類似しているのかも知れませんが、家の通り側に面して大きな格子窓があり、五條楽園では見かけない造りだったと記憶しています。
そして、最終的な答えですが、その小説の記述は、ほとんど事実と思われます。
但し、今、散策されても、ほとんど名残はありません。

450: 名前:どん投稿日:2002/10/14(月) 13:14
 五番町は私が大学時代友人がそこのお茶屋さんだと思われるような家に
下宿をしていたので覚えています。

 玄関を入ると左側に確か窓のある部屋があって 女性をのぞいて選べるようのなっていた
ようです。今から思うと お茶屋さんに女性がいるというのも変ですが。五番町はその当時そういう
仕組みだったのでしょう。正面は立派な上がり階段があり 四畳半ほどの部屋がたくさんありました。
下宿には丁度良かったようです。

 もう30年前くらいのことですから あれから随分変わったと思います。


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