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  五條楽園って其の弐

181: 名前:風俗嬢投稿日:2002/08/16(金) 00:42
ふつうの風俗でも基本的に店外デートはだめなんですよ。
私の友人(ソープ嬢)は運悪く店長に見つかり、退店させられました。
お客さんがお店に来なくなっちゃいますからね。
五条の女の人ってソープ上がりがダントツに多いはずです。
置屋からそのことを隠すように言われると聞いたことがあります。

182: 名前:mi投稿日:2002/08/16(金) 14:56
お久しぶりです。御法度の話が続きましたが、この辺で終わりましょうか?
「粋な旦那」を目指すからには、胸に仕舞い込むお話も有るのです。
それから、三味線に関しては、私達の「願望」であって、それを実現出来る器はまだ整っていないのです。
私も一度、贔屓のお茶屋のお母さんと「三味線をお座敷で聞きたいね。」と言った事がありましたが、「今の芸妓には無理でしょ。」って言われました。
更に話しを進めると、「三味線のお時間も、その他のお時間も、タクシーのメーターは同じどすえ。」と、言われました。
つまり、「三味線」を聞く為には、旦那としても、今の手持ちを倍にして、遊びに行かないとダメって事です。
それを納得出来ても、それに見合った「三味線」を聞かせる芸妓は今の所、片手に余る人数でしょう。
娼妓と芸妓が有った事を、再認識しています。
しかし、願望とすれば、雰囲気を味わえる程度に「チントンシャン」とつま弾いてくれて、「おひとつどーぞ。」って流れは、捨てられないのです。
やっぱり、「五条楽園」がその気にならないと、始まらないですね。
私なりに、贔屓のお茶屋のお母さんに相談してみようと思っています。
とにかく、このページに迷惑が掛からない様に、穏やかに、穏やかに、時間を掛けて口説いてみます。
「しん」さんも、ご贔屓のお茶屋のお母さんがいらっしゃるご様子ですので、まずは、インターネットでのお客の理解度をリサーチされた上で、相談して見られたらどうですか?
今、このページで三味線が話題なのは、「五条楽園」でも確認済みだと思います。
未だ、「五条楽園」の全ての方が、理解者では無いので、「藪から棒」にならぬ様にと願います。

183: 名前:しん投稿日:2002/08/16(金) 23:22
頭さん、風俗嬢さん。
「隠れ花」の事、レスありがとうございました。
会社で五條楽園の話をしていた時に「花代がいくら」という
話題になりました。
その時に同僚が、「隠れ花って知ってる?」と言っていたので、
ここなら分かるかと思い、皆さんに聞きました。同僚は、
教えてくれませんでした。姫さんから言われたわけではありません。
そのような意味であれば、姫さんに聞かなくて良かったと
思います。この板に参加していた効用です。ありがとうございました。

184: 名前:風俗嬢です投稿日:2002/08/17(土) 00:19
このレスを見て五条楽園に興味を持ち置屋に面接にいきましたが・・・
控え室の雰囲気がなんとも暗くて、売られた女郎の気分になって
しまいました。ずっと三味線を習っているのでそれも生かせるかもと
思いましたが、はっきり披露する場は無いと言われてしまいました。
あくまでも表向きのお稽古らしいです。着物も自前らしく安物の着物
を着ている人がほとんどでびっくりしてしまいました。
あの雰囲気では三味線の演奏とか粋な着物の着こなしなんて求めるのは
無理なんじゃないですか?

185: 名前:mi投稿日:2002/08/17(土) 12:38
風俗嬢さん。
何とも、私達「お客」には見る事の出来ない場面のレポートをありがとうございました。
そうですか、控え室の雰囲気は暗くって、売られた女郎の気分・・・。
その辺は、昔ながらのままと言うことなのでしょうね。
三味線をずっと習っておられて、それを披露出来るかも聞かれて、はっきりと否定されてしまったとの事。
やはり、遊ぶ側と、受け入れる側のギャップはしっかりと存在していますね。
「きもの」も自前とは聞いていましたが、一目見て「安物」と解る程のもでしたか?
最後の「あの雰囲気・・・」は、まさに、現状では正解ですね。
やはり、好循環が無いと、望むべき形にはなっていかないと言う事でしょう。
数人の芸妓さんは、多分安物なんだろうけれど、綺麗に着こなして、素敵に見えるのですが、それが大多数にならなければ、そう言う印象も無いでしょうね。
私としては、出来る限り綺麗に「きもの」を着こなし、五条楽園の良さを理解して、そして、お稽古に励んで、いつかお座敷で三味線をと思ってくれている芸妓さんを応援したいです。
そんな、芸妓さんが、売れっ娘になって、そうすれば、「稼げる」の方程式が成り立てば、望む形に近づくのでは無いかと思います。
今で20年の「五条楽園」のお付き合いですから、後20年、見守って行くつもりです。

186: 名前:mi投稿日:2002/08/17(土) 12:47
続きで、ごめんなさい。
「ふりーだむ」さん、調子は如何ですか?
私は、先週の小倉12Rを馬単で的中させて、「ホッ」と一息です。
競馬コーナーにスレ「勝馬予想」をアップさせています。
一度、ご覧頂き、ご感想なりとも、お願いします。
今週も、大穴を狙って、見事的中出来たら、オキニの芸妓さんに、「きもの」をプレゼントしたいなぁ。
でも、やっぱり「安物」しか、買えないと思うけれど、「旦那」として、今出来る事は、それぐらいですから。

187: 名前:ザ・ロック投稿日:2002/08/17(土) 18:39
こんにちは。今日、仕事が休みなので「五条楽園」に行きました。
僕は「30前後の人をお願いします。」といったのに出てきたのはどうみても
40前後の女性でしかもえらい中年太りで、部屋に入ってこられた時はびっくりしました。
よほど、変えてもらおうかと思ったのですが性格上、それは出来ませんでした。
普段、河原町や木屋町にあるヘルスに行くのですがやっぱり、ヘルスにいる
女性達の方が可愛いと思いました。
もう、五条は懲りごり!

188: 名前:mi投稿日:2002/08/17(土) 20:08
ザ、ロックさん。
それは、残念な結果でしたね。
喜んで頂ける方、もう懲りごりの方、千差万別の結論を投稿して頂いています。
この掲示板でも、幾度無く書きましたが、「外れ(地雷?)」は確かに多いのです。
この時期、「ザ、ロック」さんと同じ様に、若い芸妓さん、それから、ここで話題に上がる芸妓さんは、大方がお盆休み中の様です。
所謂、17:00以降の状態と同じと推測出来ます。
しかし「ヘルス」ってビチピチの女の子がお相手でしょから、それにはなかなか太刀打ち出来ないって言うか、土俵が違います。
そんな評価も有りです。

189: 名前:湯女投稿日:2002/08/17(土) 20:56
ザ・ロックさん、せっかく行かれたのに、希望とは違う芸妓さんが来られて、落胆された様ですね。
だけど、たった一人を見て全てを語る様な評価は、私としては納得がいきません。
miさんも書いていらっしゃる様に、多分今はお盆休みで休んでいる芸妓さんが多いのでしょう。
五条にも30歳前後の方や綺麗な方は居られます。
ザ・ロックさんの満足出来る芸妓さんを紹介しますので、miさんにメールを送って!

190: 名前:マグネシュウム投稿日:2002/08/18(日) 13:38
私は先日、初めて
五條へいきました 置屋?だけしっかり決めていきました

車でしたので電話で問い合わせをすると京都弁でしっかりした受け答え
をして頂きおまけに店の前まで出迎えていただき
非常に感じはよかったですね

好みを電話で話していたのとは少し違う方がでてこられましたが
それはそれでその女性にはまってしまい楽しいひと時
を過ごす事ができました 雄琴行く事を思えば
お遊び代もそんな高くないし隠れた穴場的なとこなので

まだまだ、こうゆう所は大事にしていかなければと思いますね

191: 名前:mi投稿日:2002/08/18(日) 14:54
マグネシュウムさん。
「湯女」さんが、「ホッ」と出来る「カキコ」でした。
そこで「置屋」ではなく、「お茶屋」なのですよ。
「五条楽園」以外のシステムはあまり知らないのですが、「新地」では「置屋」だけの所も有るようですが、「五条」の場合、「置屋」は芸妓の待機所で、遊ぶ場所は「お茶屋」です。
T2さんの「カキコ」にも有りました様に、その昔は「旅館」も多く存在していて、「お茶屋」から「旅館」へと、遊び場を移した様です。
それが本来の「出花」だったのでしょう。
「五条楽園」周辺の旅館も様変わりして、今や、日本では有名では無いけれど、海外で有名な、外国人の旅行者の方が多く利用されている、旅館は未だ健在です。
お茶屋のお母さんが店先までお出迎えですか、ヨカッタですね。
芸妓さんは、お好みとは違っていた様ですが、それはそれで楽しまれた様子で、好印象を抱いて頂いた様です。
「五条楽園」の面白さを理解して下さった方が増えたのが、私はとても嬉しいです。

ザ、ロックさん、何故か「湯女」さんが、私に問い合わせして下さいと書かれていますので、もしメールを頂ければ、私が中継して「湯女」さんへ転送いたします。
アドレスは rakuenannai@hotmail.com です。
是非ともMailを送ってあげてください。多分「損」はしないと思いますよ。

192: 名前:T2投稿日:2002/08/18(日) 15:07
ザ・ロックさん
今回が初挑戦だったのでしょうか。お気の毒な結果だったようですね。
miさん言うところの、「この時期芸妓さんの大半がお盆休み」という話は、
私も今回初めて聞きました。お茶屋を変え、分母が多い時を見計らって
リベンジなさってみてはどうでしょうか。このまま終わるのは、正直
勿体ない気がします。
過去レス >>61 あてに、一度ご相談を。情報は多いに越したことは
ありません。

マグネシュウムさん
上首尾の初五條だったそうで、よかったですね。この時期、お茶屋に
シャワーがあるとどんなにか有難いんですが、「お茶するところ」にそんな
設備が認められるわけもないので、せめて楽園内に2軒ある風呂屋が
楽園の営業時間と同期を取ってくれるといいんですけどね。

193: 名前:T2投稿日:2002/08/18(日) 15:26
miさん
>その昔は「旅館」も多く存在していて、「お茶屋」から「旅館」へと、遊び場を移した様です。
>それが本来の「出花」だったのでしょう。
ああ、なるほど。そこで「出花」のシステムと結びつくわけですね。最近は五條界隈には
ほとんど旅館を見ないので、出花イコール車でお出かけ、というイメージしか頭にありませんでした (^-^;
あの近辺の鄙びた旅館には、ひとりでも泊まれるんでしょうかね。次回の上洛時には
お宿を現地調達してみようかな。

同時期に、明暗対照的な五條訪問レスが来ていますが、ザ・ロックさんについては
何ともお気の毒なお話で。ひとつ、miさんと湯女さんのネットワークを駆使して、
いいアドバイスをさしあげてくださいまし。

194: 名前:ザ・ロック投稿日:2002/08/18(日) 17:51
「五条」に行ったのはこれが初めてではないですよ。
2、3ヶ月前に初めて、行ってみて昨日で3回目でした。
1回目と2回目の時は若くて可愛い女性でした。
すでに3回目なのでその店のおばさんも僕の年齢に合わせて若い女性を
出してくれるだろうと思っていたのにこの有様ですよ。

ちょっと、しばらくは「五条」に行く気がしないのでまあ、ほとぼりがさめたら
行くかもしれません。
それと次に行く時は違う「お茶屋」に行くかもしれません。

195: 名前:縦横無尽投稿日:2002/08/18(日) 17:55
皆様方、どうもご無沙汰しています。
8月は続けさまに出撃してきました。それもお盆中の14日と17日。
ちょうど、お盆中の明暗のレスが来てますが、私も明暗分かれたかも?
でも、楽園にもお盆があるなんて
知りませんでした。幸い14日に行ったのでよかったですが、
12日を(2のつく日は公休日)はさんで11日−13日
まで盆休みだったのこと。T・Eのお母さんに一応お盆での芸子さんの
出勤状況を尋ねたところ、「さあー、休む子は休むし、出でくる子は
出てきている。」と分かりやすいお答えを頂きました。
 さて、お相手はまたも新子さん、ホンマは浴衣を期待してたのですが
お母さんのお奨めもあったので、お願いしました。(チョット、暗)
いつもならもう少し、お母さんとのやり取りがあるのですが
多分芸子さんが少なかったのだとおもいます。ざ・ロックさんも
お母さんの選択肢が多いときならよかったかも?
でも、久しぶりにお茶屋ー銭湯ーお茶屋ーキコク食堂と満足できました。
ちまみに17日は「明」でしたが、報告は次回にて。

196: 名前:mi投稿日:2002/08/18(日) 18:10
縦横無尽さん、ズゴークおひさしぶりです。
それで、次回の報告はいつ頃のご予定でしようか?
それにしても、新子さんに良く当たりますね。
それと、連続の出撃の理由も知りたいです。

お盆は、お客様の数も激減するんですよ。
お母ちゃんを送ったお父ちゃんは、お盆の時期、お母ちゃんが帰って来てるから、おとなしくしてなければならないのです。
目に見える相手なら、言い訳もできるけれど、目に見えない相手には「嘘」もつけないでしょ。
そんな訳で、私もお盆は、じぃちゃん、ばぁちゃんの手前、遊びには行かないのです。
お客が少ないから、芸妓さんも里帰りなのです。
五山の送り火を見ながら「解禁!」って思っているのは、私だけでは無いはず。
では、次回のご報告を心よりお待ちしています。

197: 名前:sue投稿日:2002/08/19(月) 00:33
皆様初めまして、こんばんわ。
夏季休みの暇を持て余していたところ、ここに辿り着きました。
常連様方の熱心な受け答えに、楽園への興味が沸きました。
早速、少しの時間でしたが、現地におもむき数々の情報と照らし合わせて
散策してみました。
今回は時間も無かった為入りませんでしたが、夏が終わるまでにわ一度
楽園の雰囲気を味わってみたいと思います。
常連の方々、今後も有益な情報を楽しみにさせていただきます。
でわ、失礼します。

198: 名前:マグネシュウム投稿日:2002/08/19(月) 12:02
いや、今日は朝から蒸し暑いですね

miさん、「湯女」さんはじめまして マグネシュウムともうします。

>「湯女」さんが、「ホッ」と出来る「カキコ」でした。
そこで「置屋」ではなく、「お茶屋」なのですよ。

あ、やっぱり・・そうですか いけば「お茶屋」って看板でてますもんね (笑)。

>お茶屋のお母さんが店先までお出迎えですか、ヨカッタですね。

私が車で行って場所がわかり難くくてトロイ事を言ってしまい
お母さんが気を使って出てきてくれました
到着すれば何のことはないわかり易いところでしたね (爆)

>それはそれで楽しまれた様子で、好印象を抱いて頂いた様です。

いや、いや、未開の地に踏み込んだというかなんというか・・・
でも今度は30歳前後の方と楽しみたいですね
いきますんで紹介しておくんなまし (笑)

>「五条楽園」の面白さを理解して下さった方が増えたのが、
私はとても嬉しいです。

また、ほんまにいこうとおもてますし。
しかしこの時期シャワーや風呂がないのはペケですね (笑)
なんとか簡易シャワーでもどこか1か所に設置してほしいですね

私は「五條楽園」は大事に残していかなければ・・・と思います。

199: 名前:T2投稿日:2002/08/19(月) 21:28
縦横無尽さん
>久しぶりにお茶屋ー銭湯ーお茶屋ーキコク食堂と満足できました。
ええっ、お茶屋2軒はしごしたんですか!?
 ・・・・パワフルですねえ (-_-;)

200: 名前:T2投稿日:2002/08/19(月) 22:39
sueさん、はじめまして。
ぶらぶらと散策するだけでも、結構おもしろいでしょう。
キコク食堂の南側(高瀬川の西側)も、江戸時代には七條新地に入っておりました。
宝暦12年(1762年)の「京町鑑(かがみ)」には、六條新地の説明の中に梅澤町と
湊町(明治7年に合併し現在の梅湊町となる)、七條新地の定義の中に八王子町、
新日吉町の名前が記載されています。
湊町という名前は、その昔高瀬川に沿って船舶の係留所があったことからその名が付いた
そうです。梅湊町の位置から推測すると、ちょうど社会福祉施設の工事現場からキコク食堂を通り過ぎ、
児童公園に至るまでのエリアのどこかですね。
ただ、明治5年の「京都府下遊廓由緒」には、これら4町のいずれも新地に定義されていません。
恐らく、川向かいの上下三之宮町などと同様、明治維新と同時に廓外にされてしまったのでしょう。

しかしまあ、高瀬川の東側は山内任天堂から北側、西側はキコク食堂から北側の地域に、大正2年末の
時点で合計256軒ものお茶屋が軒を連ねていた(京都坊目誌)というのですから、今となっては
ちょっと想像がつきませんね (^-^)
ちなみに、工事現場のところに建っていた「菊浜小学校」は、もともと明治2年に菊屋町(山内任天堂の
北東部)に開校し、それが明治39年に移転してきたのだそうです(「京都市の地名」より)。

201: 名前:mi投稿日:2002/08/20(火) 19:11
マグネシュウムさん。
シャワー設備に関しては、私も欲しいとは思いますが、無理な様です。
「五条楽園」の近辺と言うか、そのものに2軒の銭湯が存在しています。
T2さんの「カキコ」の中にもありましたが、営業時間がシンクロしていないのです。
しかし、その昔は、遊郭に遊びに来る旦那衆と、芸妓の為に存在していたと思われます。
近場で2軒の銭湯が営業する為には、それ相当の客数が必要だったでしょうから、その、隆盛が伺えます。
ましてや、遊郭の中に存在している銭湯を一般の人々が使っていたとも思われず、あの銭湯も、反映していた頃の「五条楽園」の名残だと感じます。
今でも、芸妓さんは、置屋のお風呂を使う事は出来ず、住み込みの芸妓さんは銭湯に行くようです。
私の知っている住み込みの芸妓さんは、周辺の銭湯では無く、離れた場所の銭湯に通っていると行ってました。
それが、住み込みの芸妓さんにとっては、唯一のプライベートタイムなのかもしれません。
「夜の出花(23:00〜)」を受けてくれるのは、住み込みの芸妓さんのみです。
随分と贔屓にして、仲良くなると、ついつい本音も聞かれます。
以前に聞いた言葉ですが、「お風呂に一人で入れるってし、一番幸せやわ。」でした。
ついつい、お風呂で話が横見に逸れました。

202: 名前:縦横無尽投稿日:2002/08/22(木) 23:09
遅くなりましたが報告いたします。
 196 miさん >それにしても、新子さんに良く当たりますね。
別に新子さんねらいでは無いのですが、元々指名はしない方なので
お母さんのお奨めを聞いてるうちに新子さんがおおくなってるみたいです。
 199 T2さん >ええっ、お茶屋2軒はしごしたんですか!?
とんでもないです。1回目のお茶屋は芸子さんの予約だけです。
 お盆に2回行ったのは単に1回目は単独で、2回目は連れと行ったまでです。
連れもこの板は、読んでいてて興味はあったのですが、その日ついに
出撃したのです。私にとっては17日はいろんな意味で「明」でした。
 まず、馴染みのT・Mに向かう途中、Hの玄関先にて、芸子さんが
お見送りをしたはるところでした。その芸子さんの姿・雰囲気・着物の柄
仕草にビビビッと感じました。(死語?)
ルール違反と思いながら思わず出てきたお兄さんに「今の子は、誰?」と
聞いてしまいました。彼もはじめての芸子さんだったのですが、オキニに
なったみたいで聞くことはできませんでした。(お兄さんすみませんでした。)
置屋に戻る途中の芸子さんともすれ違いましたが、名前を聞くことはヤボな
事と思ったので、聞けませんでした。でも、T・Mのお母さんから情報はきけたので
(指名をしようと思ったのですが、お座席がかかってました。)今度はお相手
して頂くつもりです。
 長くなりましたが、その日お相手して頂いたKさんも癒し系の方で大変
満足させて頂きました。前述いたしましたが、指名しない方なのですが
今後楽園に通う楽しみが増えたしだいです。

203: 名前:マグネシュウム投稿日:2002/08/23(金) 12:25
そういや、お茶屋さんって、何時からあいてましたっけ?

204: 名前:mi投稿日:2002/08/23(金) 17:14
マグネシュウムさん。正午から開いてます。

205: 名前:ふりいだむ投稿日:2002/08/23(金) 23:48
>miさん
お声がけありがとうございます。
このところ,地元の地蔵盆の準備に追われておりまして,このサイトにはご無沙汰
しておりました。
で,ウマの調子ですが,絶不調でございます。
あの後また,淀へ行ったのですが,又,惨敗。どっと,預けて帰ってきました。くくっ(泣)
「勝馬予想」スレには,また,お邪魔しますので,どうぞよろしくお願いいたします!
取り敢えず,一度,五條に上がって,いい運を貰ってからにしたいと思います。
あげ○ん,や〜い。

206: 名前:今里X投稿日:2002/08/24(土) 22:17
はじめまして。ある遊所の歴史を扱ったHPでお世話になってる者です。
五條楽園のみでここまでレスが続いてるとは奥が深いですね。
ときどき、地元今里より滝井新地を通り越しておけいはんに乗って遠征しております。笑
先日、京都の丸善で京の花街の本を幾つか手に取ってみたら京都五花街一遊廓(島原)と書かれてたり、
島原を含めて六花街と書かれていたりで五條楽園のことには触れられてなく少し残念に思いました。
ひっそりと営業してるわけですが、本来の遊所の姿を伝えていると言う点では他の花街より貴重な存在だ
と思うのですが…。
せめて本の隅っこにでもひっそりと極小さい文字で五條楽園営業中と書いててほしかったです。笑
その後、五條楽園を訪れ、高瀬川会館が無くなってるのを見て、遠い目になってしまいました。
最後の頃は数軒しか営業してなかったようでしたけど、オバチャンたち元気にしてるでしょうかね。
何度か飲みに入ったのですが、オバチャンがここは出るでと言って脅かされたこともあります。
奥には遊女を折檻した部屋とかも残ってて、幽霊が出るという裏庭の古井戸の跡などとともに、戸板の
割れ目から見せてくれました。
ところで、五条小唄や五條楽園にちなんだ歌の歌詞が掲載されている書籍とかないでしょうか?
当時、お客さんに配っていた歌本などは手に入りそうもないでしょうし…。

207: 名前:T2投稿日:2002/08/25(日) 01:38
今里Xさん、はじめまして。
ご承知のように、五花街はいずれも「芸妓の街」でありますし、島原は日本最古の公許遊廓として
京の全遊廓を統轄する立場にあったことや、そこから生まれた島原俳壇など多くの文化的貢献を
もたらしたことが評価されているのでしょう。祇園や宮川町も、島原側から見ればみんな「新地」であり、
京の都における花街文化の今昔として、下ネタ抜きで論じることができますしね。
五條楽園(五條橋下・六條新地・七條新地)にも、芸妓はいなくはなかったのですが、一人減り二人減り、
結局昭和にはいって間もなく誰もいなくなってしまい、以降は娼妓のみの街となったことから、まあ
教科書だとか、普通の書籍にはまず載せられないんでしょうね。よくて別冊宝島でしょうか(苦笑)
いわゆる色街としては、ひところ吉原に次ぐ規模を誇っていたほどの街だけに、このまま街のエントロピーが
じりじりと増大していくのを見るのは、正直つらいものがあります。

柳並木と ぼんぼりが ほのかに浮かぶ 恋のみち、 とうたわれる五條小唄についてですが、私の持っている
資料のうちの一冊に、部分的に紹介されていただけで、全部の歌詞は載っておりませんでした。
(「京の花街」渡会恵介著、大陸書房、昭和52年)
お茶屋組合などでは、保存していないのでしょうかね。
街の歩みを後世に伝える資料の収集保存についても、真面目に考える時期に来ているように思います。

208: 名前:mi投稿日:2002/08/25(日) 02:08
こんばんわ、T2さん。
最近は、「下ネタ」には見向きもせず、「歴史ネタ」に敏感の様ですね。
今里Xさん、初めましてです。
今里Xさんは、五条楽園をいつ頃からご存じなのでしょうか?
>当時、お客さんに配っていた歌本などは手に入りそうもないでしょうし…。
それって、私は全然知らないです。

T2さんの言う「後世に伝える資料の収集保存」に関しては、今から始めないとダメですね。
五条会館(高瀬会館とは違います。所謂、歌舞練場)も老朽化していて、これが、立て直してマンションにでもなって、そこへテナントで「組合事務所」が入るとなったら、全ての資料は消えてしまう事は確かです。
今迄は、「五条楽園」を如何に楽しく遊ぶかを「フォーラム」で追求してきましたが、それとは別に、「五条楽園保存会」なるものも必要となりそうです。

過去も現在も未来も、全てを楽しめる「花街」として、出来る事を今から始めたいと思っています。

209: 名前:T2投稿日:2002/08/25(日) 17:49
miさん
いえ、下ネタは大好きです (-_-;)
わたしは家が遠く、五條の新着ニュースを伝えられる立場にないので、ぽつぽつと
五條にかかわる資料などを集めていたのですが、スレが一時的に荒れたのをきっかけに
ここらで楽園の生い立ちに関する情報をきちんとまとめてアップしよう、と思いついて以来
ブレーキ踏むのも忘れて書き続けてきました。大まかなところは、ひととおり触れたつもりです。
五條の歴史を語るには、五條のみならず島原との関係だとか、五條と七條との関係とか
祇園をはじめとする他の新地との相違とか、お上の行政的施策の影響とか、それはもう
結構なボリュームになってしまうので、あとはこのスレで何か話題が出た際に関連情報として
出していけるといいかな、と考えています。

miさん、これからもフォロー&現場リポートよろしくお願いします (^-^;

210: 名前:mi投稿日:2002/08/25(日) 21:09
がってんだ!
おいらだって、そんな歴史が有る事は、知りあせんでしたぜ!。
(今、ガマの油売りの練習中なもので・・)。
知ってますよ、T2さんが、下ネタ大好きだって事は。
それにしても、歌本が配られていたなんて・・「俺、ガキだったから、貰えなかったのかな?」。

五条も芸妓さんそんの出入りが激しくって、あの人が辞めるとか、あの人が居ないとか・・。
でも、員数は、何時も同じぐらいで保てているのは、需要と供給のバランスが存在するからでしょうか?
T2さんの「オキニ」もナガーイ夏休みを終わって、やっと出勤されました。
風邪の(風)の噂では、長い行列ができたとか?
なにやら、新規一転だそうで、美貌に磨きをかけたとか、かけないとか?
そう言えば「バストケア」で若返って、あの綺麗な乳房が、更にツンと上を向いたそうです。
あの大きさと、ズッシとした重さ、そして女性らしい曲線美、僕はすきだなぁ。
今度は、一体何を美しくしてくれたのだろうと思いながらも、競馬の調子が悪いので、確かめられないのです。
縦横無尽さん、ここは一つ「指名」してみる価値ありだと思うんだけどなぁ。
今度こそ、目的の姫のレポートをお願いします。

ってなことで、精一杯の下ネタでした。


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