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  五條楽園って其の弐

121: 名前:mi投稿日:2002/07/21(日) 18:12
人間魚雷さんと言うより、人間魚雷君ですね。
求めているモノが、少々違う気がします。
K3さんも書いておられますが、仕事上、和服が多いので、極端な「茶髪」は禁止されています。
誤解を恐れずに書くならば(T2さん借用します)、所謂、ホステス系(誤解を恐れてそう書きます)の方は少ないでしょう。
人間魚雷君は、何を求めて居るのかな?
それを教えてくれれば、もっと的確にお答え出来ると思いますが。

K3さん
大変な事になっていたのですよ。
もう、こんな時のT2さんは頼もしい限りでした。
しかし、彼は、睡眠時間有るのかなぁ〜。
仕事時間中に、睡眠取らないで下さいよ。

122: 名前:遊女投稿日:2002/07/21(日) 23:18
T2さん、丁寧に教えていただいて、有り難うございました。
時間をかけて、足を運んで集められた資料を、惜しげも無く気安く教えていただけるなんて、T2さんのお人柄ですね。
有り難うございました。

123: 名前:名無しさん投稿日:2002/07/22(月) 01:34
ギャル系は皆無。どちらかというと地味系ですよね。
太夫の高い教養で思い出したけど、先月裏を返そうと出向いたら
もう辞めてしまっていたんですが、Rちゃんはものすごくノーブルな方でした。
育ちのよさを感じさせるきれいな言葉遣いに
近松門左衛門の浄瑠璃のお話やオペラに詳しくて
なんでこんな上品な子がこんなところに(失礼)いるんだろうと
いう感じの方でした。サービスも丁寧で申し分なし。
こんな子、他にはいないものでしょうか?
また、Rちゃんの行方をご存知の方があれば教えていただきたいです。

124: 名前:T2投稿日:2002/07/22(月) 03:06
K3さん
いえ、五條や祇園を始め、新地はみな「二本立て」で営業していました。
京都の寺社を訪れる参拝客に湯茶を振る舞う「水茶屋」を起こりとするのが祇園。一方、
葬送地である鳥辺野(五条坂付近から今熊野付近一帯)へ出向く遺族や、五條南の馬町で
開かれる馬市へ出向く博労(ばくろう)たちに煮豆や煮昆布などを売る「煮売茶屋」を
起こりとする五條楽園。どちらも寛政2年に島原傾城(けいせい)町の支配下に置かれた
ことから、ともに花柳ビジネスを抱える街だったことは疑う余地のないところですが、
阿国歌舞伎を始め古典芸能の発祥地でもある祇園は、当初から見世物や芝居で賑わう
街だったため、他の花街に比べると娼妓(しょうぎ)の数は少な目です。

ただ、祇園にも甲部と乙部があり(一時期丙部もあり)、乙部のほうは娼妓中心の街でした。
今日「祇園東」と呼ばれている新地がそれで、現在は芸妓(げいぎ)オンリーです。
大正10年の京都府警察部遊廓統計によれば、

      業者数   芸妓数   娼妓数
祇園甲部  438   696      59
祇園乙部  222   254     313
七條新地  229    27    1083
島   原  119    58     308
宮川町    386   426     397

と、各々の花街の特徴がはっきり出ているのがお分かりいただけると思います。
七條新地は明治維新後、島原に取って代わり西日本最大規模の遊廓として成長し、東京の
吉原とともに日本花柳街の双璧を成したと言っても過言ではないでしょう。

125: 名前:湯女投稿日:2002/07/22(月) 18:29
T2さん、お疲れ様です。
それにしても、凄い資料で、感心しまくりです。
五条楽園のお茶屋さんや芸妓さんも、こういう事も知っておけば良いのにと思います。
関心が無いのかな。
勉強したら、男の人が何を求めて遊びに来るのか、(人によって違いますけど)違った接し方をして貰えるようになるかも。
楽園に新人さんが入って来ても、長続きする人が少ない様です。残って続けて行っている芸妓さんは、勉強せず、歴史は知らなくても五条楽園の魅力はよく知っていて、男の方との接し方も心得ているのかも知れませんね。

126: 名前:しん投稿日:2002/07/22(月) 23:42
miさんへ
7月15日にNMに出陣した者です。
「ボインで色白で20歳代」という条件でお姉さんに
お願いしたところ、「30歳を少し越えるけど、いい?」と言われ、
「結構です」と答えました。Y置屋から、Yさんが来ました。
確かにボインで色白だったので、まあまあ、満足でしたが、
やはり、20代の方が好みです。(出来れば、美人の方がいいです)
今後も行きたいので、ぜひとも、希望に沿う「姫」を教えて
いただけますか? よろしく願います。
(メールも合わせて、rakuenannai@hotmail.comへ送信します)

127: 名前:名無しさん投稿日:2002/07/23(火) 01:06
123の名無しさんへ。Rちゃんは元いたお店に戻って
いるようです。F店のメンバーの方に聞いた情報です。

128: 名前:T2投稿日:2002/07/23(火) 04:56
湯女さん
いわゆる売防法の施行後のことについては、詳述されている資料が少ないのです。
むしろ、そのあたりからはお茶屋や置屋のお母さんのほうがよくご存じかもしれません。
でも、なかなか聞く機会がないうちに、廃業されたり亡くなられたりで、ここにきて楽園史を
語れる方は急速に減ってきていますね。

さて、五條楽園で言うところの芸妓さんは、実際には「娼妓」ではないか、と突っ込まれる
向きもあるかもしれません。
五條楽園に見られる、いわば芸妓と娼妓のハイブリッド型ビジネスモデルが確立されたのは、五條
楽園の発足と同時である、と考えられます。昭和九年現在の貸座敷営業状況調(京都府警察史
第三巻)によると、この当時の七條新地の貸座敷営業者239軒中「娼妓寄寓するもの」が239軒、
すなわち全ての貸座敷に娼妓が住み込んでいたわけで、今日のように「姫が置屋からお茶屋へ
出向く」というスタイルを取っていなかったことが分かります。
しかし、旧スレにも証言がありましたが、昭和34年に五條楽園として再スタートを切った時には、
この界隈はまさに芸妓一本の街でした。発足当時、お茶屋は旧五條橋下である平居町、南京極町の
各17軒を筆頭に計75軒、置屋14軒、芸妓数は70余名いたとされます。
正月十日の始業式ではお茶屋や芸妓の表彰と舞初め。6月には浴衣会、さらには三味線の発表会なども
開かれていました。「五條小唄」という小唄もつくられ、振りまできちんとついていたそうです。
この頃のピーク時間帯は22時前後で、そこをはずせば必ず誰かしらを呼ぶことができたのと、
一見さんでもお茶屋へあげてくれる(これは今日でも同じですね)、というのが大きなウリでした。
「通し花」の制度がなく、お茶屋で夜通し遊ぶことができない代わりに、廓の中に旅館組合が
あって約20軒が営業しており、ここへ座敷を移すことが可能だったといいます。また
「恋愛」は当人同士の自由であり、ここで刹那の愛が生まれても干渉はされないわけです。
このあたり、うまくできてますね。

娼妓の街として名を馳せた五條楽園で「芸妓(げいこ)さん」という呼び方が残っているのも、
歴史的な経緯がちゃんと存在していたのですね。
しかし、時の流れは残酷なもので、時代の荒波は[以下、陳腐な表現しか思いつかないので中略
<省略されました> [全文を見る]

129: 名前:湯女投稿日:2002/07/23(火) 20:48
映画のワンシーンを想い描きますね。
夏場は浴衣一枚だけを身に纏って、襟元を広く開けてほつれ髪が白いうなじに触れて、キュっと腰紐を締めて、薄着の洋服よりも色っぽく感じますね。

130: 名前:T2投稿日:2002/07/23(火) 23:10
湯女さん
今年こそは、浴衣姿を見に行こうと思っているのですよ。
で、浴衣の時って、本当に一枚だけなんですか!?

miさん
結局自分の目では確認できずじまいになっておりますが、先日まで
NMで出されていたという「小鉢」は、どんなものだったんでしょうか。
ものによっては、まさに「煮売茶屋」そのものだったということに、なるん
でしょうかね。

 ・・・・さすがに今日はちょっと、早寝しようと思います。

131: 名前:湯女投稿日:2002/07/24(水) 11:32
普通はちゃんと下着を着けますけど、そんな風に想像する方が、なぁーんとなく「浴衣」ってイメージがするものですから。

132: 名前:mi投稿日:2002/07/25(木) 17:02
T2さん。
NMの小鉢の内容ですか?
私のホームグランドの「お茶屋」はNMでは無いので、そんなに詳しくは解りませんが、私の食した限りでお答えしましょう。
ベースとなるのは、「筑前煮(関西ではそう呼ばれていますが・・・)」だと思います。
小芋とかこんにゃくが炊かれたものが多かった気がします。
そう言えば「きんぴら牛蒡」もありました。
芸妓さんがお座敷に現れる迄の十数分ですが、それを肴にビールを飲んで居ました。
NM以外の「お茶屋」では、だされた事は無いので、辞められたお母さんの心遣いだったと感じています。

それから「湯女」さんの「浴衣」に下着を少々解説すると、「下着」と言う表現は適切では無いかなと思います。
「下着」と書かれると、本当に下着をイメージしますが、この場合の下着は、「汗取り」の「肌襦袢」と「裾除け」を着けると言う意味です。
五条でも、和服の下に、「パンティー」や「ブラジャー」を着けている芸妓も居れば、着けていない芸妓も居ます。
私としては、「肌襦袢」と「裾除け」だけが、好きです。
しかし、浴衣の下は、出来れば何も着けていない(肌襦袢も裾除けも着けていない)のが、良いですね。
薄手の生地の「浴衣」だと、胸元に”ぷっくり”と、バストの中央の突起が透けているのが、たまらない艶を感じたりもします。

133: 名前:湯女投稿日:2002/07/25(木) 18:16
どうも訂正をいただき、有り難うございました。
着物としての、ちゃんとした呼称があるのですね。雰囲気を壊さないように、着物用語を勉強いたします。

134: 名前:T2投稿日:2002/07/26(金) 01:23
miさん
おおお、ではNMはまさに「煮売茶屋」だったわけですね。お母さんがそれを知っていてやっていたのかどうかは、
今となっては知る由もないですが、何とも惜しいですね。
芸妓さんだけにいろいろ(三味線の練習だとか)要求するばかりでなく、お茶屋さんなどにもこういった細かいところへの
こだわりがあると、我々はもっとテーマパーク的な楽しみが増えていいんですけどね。

 ・・・・煮売茶屋味めぐりツアー、か。個人的にはそそるなぁ (^-^;

135: 名前:ふりいだむ 投稿日:2002/07/26(金) 22:19
miさん,T2さん,掲示板参加の皆様ごぶさたでございます。
前スレッドの800番台に少しだけ顔を出した[ふりいだむ]です。
実は,あの後また,仕事地獄に巻き込まれなかなか覗きに来れませんでした。
それでも,5月の中旬には16年ぶり「楽園」再デビューを果たし,その悠久の歴史を(ってオーバー?)
堪能いたしました。ご報告もせぬままに,今日に至ってしまいました。
その間にスレッドも移動し,ここ数十の投稿を見るとなんだかとってもカルチャーなスレになってて
[ふりいだむ]なんかの来るところじゃなくなったのかなって思ってしまいました。
(ムカシからカルチャーチックでしたね。すみません。もう,このスレも130台半ばですねぇ。)
ま,それでも私はマイペースに来週にもまた「楽園」へ出掛けようとは思っていますけどね。へへ。
そのために,明日は3連複,取りたいですね。…ありゃりゃ。

136: 名前:初心者投稿日:2002/07/27(土) 00:51
五条楽園に遊びに行きたいけど、どうすればいい?教えてください。

137: 名前:T2投稿日:2002/07/27(土) 01:34
初心者さん
五條楽園にある「お茶屋」さんののれんをくぐって、「こんにちは〜」と声をかけましょう。
程なく「おいでやす」とお母さんが出てきます。
初めてであれば、その旨告げればひととおりのシステムを教えてもらえますが、
ちなみに60分大2枚(プラマイ小2〜3枚)が相場。
お母さんに好みのタイプを告げてから、お座敷に上がって待つことしばし。
早ければ数分で芸妓さんが到着します。
なお、店の前で客引きをしているところは避けるのが無難です。あと、
あまりに遅い時間だと芸妓さんの選択肢が狭まるようですよ。

138: 名前:T2投稿日:2002/07/27(土) 02:02
ふりいだむさん、ご無沙汰でしたね。
楽園の歴史は、知れば知るほどなかなか深いですよ。
16年ぶりのお座敷は如何でしたか。当時とは勝手が違っていましたか。
その頃を知らない私にとっては、正直ちょっと興味が湧きます。

139: 名前:mi投稿日:2002/07/27(土) 15:31
ふりぃだむさん、ご無沙汰です。
3連複も、波乱の3連複を的中させたいですね。
今日も、高額の3連複があった様です。
波乱の3連複を取るためには、まずは馬連ですよね。
馬単、3連複が出現してから、的中から遠ざかるばかりで、私は困り果てています。
お互い、頑張って、資金稼ぎをしましょう。
できれば「あげ○ん」の芸妓さんにお相手頂きたいものです。

140: 名前:ふりいだむ投稿日:2002/07/28(日) 00:03
T2さん,miさん早速のレスポンスありがとうございます。
覚えていただいてて,とっても光栄です。

T2さん
> 16年ぶりのお座敷は如何でしたか。当時とは勝手が違っていましたか。
> その頃を知らない私にとっては、正直ちょっと興味が湧きます。
 いやぁ,基本的に変ってなかったと思いますよ。
 って,16年前に一度だけ上がった事があるだけですんで,一般論とは云えない
 とは思いますがね。大変「お上手」なおねぇさんでした。へへ。

miさん
> 3連複も、波乱の3連複を的中させたいですね。
 (中略)
> お互い、頑張って、資金稼ぎをしましょう。
> できれば「あげ○ん」の芸妓さんにお相手頂きたいものです。
 そう,波乱の3連複ですよね。がんばりましょう。
 さぁ!良い循環を得るためにぜひ「あ○ま○」の芸妓さんを見つけに「五條」へGo!

141: 名前:湯女投稿日:2002/07/29(月) 20:36
miさんにふりぃだむさんは競馬をされるのですね。
「あ○ま○」を見つけに行く資金は調達出来たのでしょうか?
競馬に限りませんが、的中させるのはとても難しいのでしょう?
うまく的中して、資金が出来て「五條」へ行って、「あ○ま○」さんが見つかったらホント良い循環ですね。
知らなかったのですが、女の子の下のナニを3本もらって財布に入れておくと良い。というゲンカツギがあるのですね。
「ちょうだい」と言ったら誰でもすんなりとくれるのかな?

142: 名前:T2投稿日:2002/07/29(月) 20:59
湯女さん
それ、五條楽園に伝わるゲン担ぎなんですかね?
それとも一般的な言い伝えなのかな?
ま、どっちにしてもイイ話、聞いちゃった、フッフッフッ・・・・ (-_☆)キラリッ

別スレで、高瀬川会館解体の話を知りました。楽園発足の初期段階から
存在していたようで、当時の写真なども見たことがあります。
いつも夜中の2時頃までやっている店だったので、これで一気に楽園の
消灯時間が繰り上がることになりますね。ちょっとさびしいです。

143: 名前:ふりいだむ投稿日:2002/07/29(月) 23:46
直接関係ない話題になっちゃってるかも知れませんが,ナニの毛3本の件は,結構,全国的
にある様ですけどね。
って,戦時中なら敵の弾に当たらんとかねぇ。あったというハナシを,おじいさま(!)から
聞いた覚えがありますわっ!へへ。
なかなか,女の子はくれないと思いますけどね。
(ムカシ,ソープが前の呼称だった時代に,姫から貰った事がありますが…。)

踏み込んだ事はなかったんですが, 高瀬川会館解体ですかぁ。時代の流れでしょうか。
ま,ひょっとして今まで残っていた事が,天然記念物(?)重要文化財(?)かも。
「楽園」が,そうならない事を願う。

144: 名前:クロノチェンジャー投稿日:2002/07/30(火) 01:57
前スレで少しだけ参加していた「クロノチェンジャー」です。
以前と雰囲気が違っていて少し荒れてるのがちょっと寂しい気もしますが、
T2氏やmi氏が根気よく受け答えされているのには敬意を表します。
私は五條のネタがもう無いのであまり参加できませんが、頑張って下さい。
それにしても高瀬川会館解体はビックリしました。一度行っておくべきだった。

145: 名前:まい投稿日:2002/07/30(火) 05:59
27の女です。
五條で働きたいと思っているのですが、
何時から何時間までの勤務なのでしょうか。
何曜日と何曜日だけという出勤の仕方は許されるのでしょうか?
お休みに罰金はいりますか?
女の子の手取りはいくらか知っていますか?
三味線のおけいこはどこでいつやるのですか?
客層はどうですか?
一日いくらぐらいになるのでしょうか
知ってる方がおられたら教えてください

146: 名前:T2投稿日:2002/07/30(火) 09:56
まいさん
勤務形態は、置屋にもよります。お茶屋さんが正午から23時頃まで開いていますので、
その中でのお勤め、ということになります(通いの方も、住み込みの方もいます)。
今の五條の状況だと、待機時間のほうがかなり長くなってしまうかも。ヘルスやソープ
などより、勤務効率は悪いはずです。
そのうえ三味線のお稽古が(月に2回ぐらいかな)義務づけられていますし、着物での
勤務は絶対条件だし。収入面以外のところに主たる価値を求められる方でないと、
正直きついと思います。

それでも惹かれる、とおっしゃるなら、私より詳しい
>>61 の、miさんのアドレスにおたずねを。捨てメアドでもけっこうです。

147: 名前:T2投稿日:2002/07/30(火) 11:07
収入面に関しては、要は売れっ子になればいいってことなんですがね。

クロノチェンジャーさん
お久しぶりですね。五條ネタがないなどと、お寂しいことをおっしゃらずに、
ちょくちょくおいでください。河原町四条にご友人も居られるそうですし。
五條の散策は時々なさっておられたとのことでしたが、まだ五條のお茶屋には
お入りにはなっていらっしゃらないのかな?
前スレでは資料提供ありがとうございます。
おかげさまで、本スレの過去レスで、私なりに五條楽園史ダイジェスト版を
ご報告することができました。
高瀬川会館は、12月のK3さんの報告の時点では6軒が営業中とのことだったん
ですけどね。実は、先週末に行ってみてきたんですが、既に瓦礫の山でした・・・・。
ドライな見方をすれば、今の五條楽園の中ではかなり不利な立地だったことは
確かです。歴史に"if"は禁句ですが、もしH・Sの向かいに建っていたりしたら、
また違った歴史が紡ぎ出されていたのでは、なんて思ったりもします。

148: 名前:湯女投稿日:2002/07/30(火) 20:03
高瀬川会館は、前を急ぎ足で素通りするだけの私には、昔は随分賑わっただろうけど、今はその名残が残骸のようにまだ壊されずに残っている、崩れてしまいそうな暗い建物という印象で、それが何と営業していると知り驚いたのですが、それが今度は、突然、もう壊されたと聞いて、又驚きました。
で、日が落ちて薄暗くなりかけた頃に、確かめに行って来ました。
ホント、ありませんでした。
五條通りから南へ下がって行ったのですが、GSの横を曲がって行くと、高らかなだみ声が・・・
見ると高瀬川沿いと歌舞練場方面との二股に分かれている所で、おばさん3人ほどが、椅子に座って周りを身ながら話をしていました。
あの人達は、高瀬川会館の前に居た、例のパイプ椅子のおばさん達なのかしら?
ちょーっと、怖い感じがしたのですけど、先入観かな?
「五条楽園」という看板が新しく2カ所に設置されていました。
一カ所は、その高瀬川会館の前の道から、喫茶店のある所を西へ細い道を通って河原町通りに出た所。
もう一カ所は、お茶屋Tの所でした。

149: 名前:T2投稿日:2002/07/30(火) 23:33
湯女さん
キコク食堂の前の大看板も、新しいものに更新されていましたね。
miさんは、あそこの旧看板がお気に入りだったそうで、赤地の色のきつさと
適度な褪色、ポールの錆び具合など、今の楽園の空気を物語るようで
それはそれで趣深かったですが。写真取っておけばよかったなあ。

いましたですね、3人組。
私が見たのは、土曜日の23時半頃でしたが、殆どのお茶屋の灯り(最近は提灯を吊すように
なったんですね)が消えているというのに、鶴清の倉庫の前で地べたに座って、団扇をパタパタ
やりながら「兄ちゃん、お茶屋探してはんのん?」と気怠げに声をかけられました。
彼女たちなら、恐らくは会館閉鎖の事情を知っているのではないかという気がします。
その提灯ですが、恐らくは五條楽園の「五」の字をモチーフにしたと思われる記章が
描かれていますね。
お茶屋だけでなく、一部の置屋にも吊してありました。

150: 名前:mi投稿日:2002/07/31(水) 21:42
ふりいだむ さんへ。
どうでしたか、3連複の調子は?私は先週も「不調」からの脱出は出来ませんでした。
確か、競馬用のスレッドが有りましたよね。
競馬ネタはそちらへって来そうなので、そちらに近々スレを立てる予定です。
その時は宜しくお願いします。

まいさんへ
お返事をお送りします。私的には、「五条楽園」で働くには、ベストのお年頃と思います。
又、質問が有ったら、遠慮無くどうぞ。


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