猫舌Part4
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- 486 ) 猫舌.
- [2006/11/21(火) 12:32]
- 河原で芸能が起こった時期は江戸初期ではないでしょうか。四条河原で処刑が行なわれた時期と
微妙にずれる気がします。ただ担い手は共通してますな。
江戸時代最後の京都における大量公開処刑はキリシタン弾圧によるものでしょうがそれは七条河原
で行なわれています。元和5(1619)。
考えてみれば公開処刑は見せしめのためで人が集まらなければ意味が無いし、人が集まれば物売りも
でます。繰り返しになりますが
<省略> [全文]
- 487 ) 四条河原
- [2006/11/21(火) 14:40]
- あれ?
出雲の阿国が五条河原で踊りだしたのは信長の時代でしたよね?
当時は四条河原は既に栄えており外れの五条河原(今の松原)で始めたと聞きましたが…
処刑も娯楽を兼ねた催事だったんでしょうかね?
それにしても死臭が漂っていそうでなんか嫌ですね。
- 488 ) 猫舌.
- [2006/11/21(火) 14:57]
- 信長は天正十年(1582)に死んでいます。阿国は元亀3年生(1572)まれです。
やや重なりますが阿国の活躍はむしろ安土桃山後期から江戸初期でしょうね。
それにしても河原はあちらとこちらの境界。様々な異形が蠢く地だったのでしょうね
そこには脂粉とともに血と腐臭も漂っていたのかもしれません。
まあ現在のキヤマチとて似たニホイがしますが。
それと死屍累々だったのはやはり室町中期でしょうね。安土桃
<省略> [全文]
- 489 ) 四条河原
- [2006/11/21(火) 15:02]
- 失礼。
1582年に春日大社でややこ踊りを踊った。
1600年に京の近衛殿でややこ踊りを演じた。と文献に残っていますね。
- 490 ) 四条河原
- [2006/11/21(火) 15:10]
- 信長が上洛するまで都はは無惨な状況だったと聞きます。
室町時代と言えば華やかなイメージがありますが足利氏の末路は惨めなものでしたね。
京都には野良犬がいないとまで言われていたのが本当ならば人々の生死感もかなり麻痺していたのかもしれません。
- 491 ) 樹命
- [2006/11/22(水) 02:53]
- 戦前までは生きるにも困難な層が人口の半分以上だった。人の死は常に生活に隣接していた。
戦後近代化で生存が当然で生命第一尊重の流布が浸透した。結果死は通常生活から一番遠い実感となった。
それは生や命の重ささえ遠いものにした。
- 492 ) 猫舌.
- [2006/11/22(水) 06:45]
- ヨーロッパ中世の絵画にほとんど唐突に描かれる骸骨。わが国でも餓鬼草子や地獄草子に描かれる腐乱死体
は死を見据えよという知恵なんでしょうね。
特殊清掃人とか遺品整理とかのブログが人気を博していますが、死体のブツとしての迫力が、もしくは死のリアルな
実態が良くわかり面白いです
- 493 ) 491へ
- [2006/11/22(水) 08:00]
- 日本の生命に対する価値観の変貌は明治に始まっていると思います。
一つは建前上ではありますが民主主義の国になり身分の差が縮まったこと。
一つは鎖国を解いて諸国との付き合いのなかで「野蛮国」となるわけにはいかなかったこと。
一つは富国強兵の一環としての労働力、軍事力の担い手が必要になったこと。
まぁ、まだまだ「お国」の為の「駒」扱いだったのは否めませんが…
- 494 ) 猫舌.
- [2006/11/22(水) 09:39]
- 大日本帝国が民主主義かはどうかともかく不平等条約改正は悲願でしたから
たとえばそれは治外法権というか裁判権の問題が象徴するわけです
少なくとも司法制度は西洋化してみせる必要があった。小塚原で晒し首というわけには
行かないでしょうから。(フランスでは公開ギロチン。アメリカにいたってはリンチによる奇妙な
果実の時代が続いていましたから何をか況やですが)
- 495 ) 猫舌.
- [2006/11/23(木) 09:17]
- しかしともかく大量死の出る状況で人間は簡単に麻痺を起こすようです。
有名な「おあん物語」では(江戸時代初期)大垣城落城の寸前天守閣に
集められた敵の生首がごろごろして血腥い中で十四歳の娘が暮らす様子を
本人の口から語られています
また太平洋戦争中はそれこそ死者は数多ありました。鉄道自殺などはダイヤ
優先でその日の運行が終わるまで放置されたようです。輸送力は戦力と謳われた
時代ですか
<省略> [全文]
- 496 ) 樹命
- [2006/11/24(金) 01:43]
- いつの時代も死は厳然とある。
生きている人間がどの距離感で意識しているか・・
或いは意識せざるを得ない状態に陥り嫌でも死に隣接している事実と面と向かう。
治療不可な病に冒され、漫然とした時を死に向かい会い過ごす。
わずかでもの延命に苦悶の治療に挑む、静かに終焉に向かい歩む・・、
今、末期癌の患者の3割近くが加療不可で退院させられ
自宅で鎮痛剤も投与できずに苦悶の時間と共に死を待つ。
<省略> [全文]
- 497 ) 猫舌.
- [2006/11/24(金) 09:01]
- 死を想え-Memento mori こそ私たちがいま思い起こさねばならないことかもしれません
- 498 ) なんで
- [2006/11/24(金) 19:58]
- この人達はわざわざ難しい言葉でしか書かへんのやろ?
もっと分かりやすく簡単に書けるやろうに…
たいした事ゆうてるわけでもあらへんのにもったいつける必要やいやん!
- 499 ) 猫舌.
- [2006/11/24(金) 20:14]
- まったくそうですね。反省します。
- 500 ) 500
- [2006/11/24(金) 20:21]
- いただきましたm(_ _)m
- 501 ) ↑
- [2006/11/24(金) 20:45]
- 教養がある人は、ついつい難しい言葉や表現を使う傾向がありますね!
でも本当に頭のいい人は、小学生が読んでも意味のわかる言葉や表現を使います。
すみません!私の独り言です。
- 502 ) ↑
- [2006/11/24(金) 22:30]
- ほな分かりやすぅに書いてみてくれや。
たいしたことでもないなら表現がどうでもええがな。
- 503 ) 498サン
- [2006/11/25(土) 00:55]
- お金、人生というキーワードを使ってあなたの生き方を分かりやす説明してください。
小学生でもわかるようにお願いします。
- 504 ) ↑
- [2006/11/25(土) 07:38]
- 逆切れしとる
- 505 ) 猫舌.
- [2006/11/25(土) 11:22]
- アタマの悪い文章だなとおもうのは、論理性に欠ける事、尚且つ冗長でテーマがぼやけている事
ですかね。そうでありながら適切とは言い難い語彙の選択や過度の漢語的表現(もしくは英米語)
で修飾されていると無理してるなとか思います。
新たに覚えたらしいムズカシイ表現、たとえば「揶揄」とか多用していると微笑ましいなとか思います。
- 506 ) ↑
- [2006/11/25(土) 12:32]
- 自分の文章て日頃使わん漢字やカタカナ言葉多ないか?
- 507 ) ↑
- [2006/11/25(土) 12:57]
- >>503先生、それは冬休みの宿題でつか?
- 508 ) ↑
- [2006/11/25(土) 16:34]
- >>503
誰がお金と人生の話をしとんねん(笑)頭オカシイんとちゃうか?
- 509 ) ↑
- [2006/11/25(土) 22:26]
- おまえもぐじゃぐじゃ言うんやったらさらっと書いやってみぃや ワラ
猫舌もそない急に評論家の立場に座んのはどうやねん? ワラ
- 510 ) ↑
- [2006/11/26(日) 23:22]
- おまえが書けや。
サラッとかけるような話か!
- 511 ) 猫舌.
- [2006/11/26(日) 23:49]
- ニホンゴは不幸なことに早い段階で遙かな先進国であったシナ文化に接触した為に
その文化的圧力に押し流されてしまい成熟がとまりました。
その為形而上的な概念などはヤマトコトバで言い表すことが出来ません。
明治後はそれにまして欧米からの新技術や哲学が流入し、これは便利な事にシナ語
の語彙を援用して助かりましたがニホンゴ自体を豊かにしたとは言い難いです。
- 512 ) 猫舌.
- [2006/11/26(日) 23:53]
- probabilityという言葉があり蓋然性と訳されますがではこれを小学生にも
判るように記述するのは至難の業です。出来たとしても冗長な文になりかねません。
確からしさ、と言っても意味不明でしょう。
前にも書きましたが良い文章とは論理性が堅牢なことでしょう。その上で伝わるべき
中身が問題になります。(逆に言えばいい加減で中身の無い話を論理的な文章に
するのは出来ないですが。ふと竹下元首相の「言語明
<省略> [全文]
- 513 ) 猫舌.
- [2006/11/26(日) 23:56]
- 言葉を選ぶのはセンスですね。確かにワザワザ難しい漢語表現を選んだり
ガイコクゴを使うのは悪い趣味だと思います。文章は伝える道具であるときには
アクロバチックである必要は無いからです。(詩や文学作品はその限りでは無いにせよ)
- 514 ) 猫さん
- [2006/11/27(月) 02:33]
- 私は唯川恵さんの小説が大好きな20歳、祇園のホステスをしています。
一体、水商売ってなんのためにあるんですか・・最近わからなくなりました。唯川さんの「永延の途中」「100万回のいいわけ」という小説をぜひ読んでいただきたいです。
結局私たちは消耗品。賞味期限が過ぎれば廃棄される。騙し騙され生きてるわけですね・・なにかおすすめの小説を教えてください
- 515 ) 猫舌.
- [2006/11/27(月) 08:41]
- 信じて疑わぬよりも迷い疑う人生の方が辛いけれど実りが多いと思います。
残念ながら私はもう小説は読めなくなりましたが、良き文学作品は自分の
中に「他者」を育てるのに役立ちます。内部に外部を持たない人も組織も
生まれ変わるチャンスを逃すと思うからです。
私たちはいつでも変わる事ができる。そのときには前の自分を栄養にして新しい
花を咲かせることができる。つまりは明日の自分は今の自分が作るのです
<省略> [全文]
- 516 ) 猫舌.
- [2006/11/27(月) 08:47]
- 人生の一時(しか)訪れる才能。美貌でも運動神経でも、それを生かす仕事は他にもあります。
それが仕事であり付加価値を生むのなら何かしらの意味はあるのです。
本はあなたが出合ってください。あなたの眼と心を信じて。
- 517 ) ↑
- [2006/11/27(月) 12:34]
- 7つの習慣って本は読んだことありますか?
- 518 ) 猫舌.
- [2006/11/27(月) 12:49]
- 読んだことないですねえ。カネモチ父さんがチーズがどこいったとかの類でしょうか
先日某デパートで家人が買い物している間に鏡の法則とか読みましたが字が大きくて
良いですねえ。
- 519 ) 猫舌.
- [2006/11/27(月) 12:53]
- あ。上記立ち読み です。
- 520 ) がは!
- [2006/11/27(月) 22:41]
- 猫舌は反省を文章構成にて表しとるんかい?ワラ
どっちにしても同じやぜ!
わからん奴はどう書いてもわからん、
わかる奴は乱文からも意図を読み取りよるわい ワラ
- 521 ) 猫舌.
- [2006/11/28(火) 08:34]
- なんだか意味不明な文章ですね。そのためのサンプルですか?
- 522 ) ↑
- [2006/11/28(火) 09:20]
- そうけ?
- 523 ) ↑
- [2006/11/28(火) 16:32]
- ロバートキヨサキとは一体何者ですか?
- 524 ) 猫舌.
- [2006/11/28(火) 17:12]
- カネモチトウサンですか。勿論私は貧乏倒産です。それは措いて。
ハワイの日系四世らしいですね。事業を起こし成功し、しかもそれを(事業を)売って
その金を投資に廻し悠々自適という「勝ち組」です。ウラヤマスィです。
自分で稼いで、そして稼いだ金に稼がせるという発想。自分で作った事業を売ってしまうという
発想はニホンには無いと思います。仕事に対するスタンスの違いでしょうか。
- 525 ) 猫舌.
- [2006/11/28(火) 17:17]
- ニホンでよくあるトウサンは事業を起こすまではいいけど私物化して
「わたくし」として一体化してしまった事業を経済的にも精神的にも
売ることを前提としていない。仕事=人生になってしまって手法や製品が
陳腐化してもしがみついて結局共倒れというパターンですね
- 526 ) ↑
- [2006/11/29(水) 11:09]
- それでは小学生にはわからんど
- 527 ) 猫舌.
- [2006/11/29(水) 11:33]
- 私は別に小学生にわかってもらおうとも思いません。第一このサイトは18禁です。
普通の18歳以上なら理解できるだろという語彙を選んでいるつもりです。
- 528 ) ↑
- [2006/11/29(水) 13:13]
- 三十三やけどわからんにゃけど
- 529 ) ↑
- [2006/11/29(水) 13:49]
- 33歳にもなったら解ろうとしたら。
それかロムるなw
- 530 ) ↑
- [2006/11/29(水) 17:03]
- >>529へ
>>525の内容をもう少しわかりやすく、例などをあげながら説明してくれませんか?
特に
私物化して
一体化して
陳腐化して
をどうゆうことか教えてくれませんか?
- 531 ) 猫舌.
- [2006/11/29(水) 18:35]
- ちょっと言葉足らずでしたか。
ビジネスというのは資本と経営で出来ているわけです。どんな人でも新しいビジネスを始めようと思えば
資本を持ってきて経営する人を探さなくてはいけない。それが同じ人でも勿論良いです。
というかほとんどがそうでしょうねえ。
- 532 ) 猫舌.
- [2006/11/29(水) 18:41]
- ニョーボーが料理の天才で美味いお惣菜を作る。これは売れるぜということで事業化する。
家を改造して店舗にして商品を並べ始める。最初のうちは売れなくて売れ残ったお惣菜を
夕食にしながら明日は頑張ろうぜとか励ましたりする。給料なんかは出ません。というか
何故か家の改造費用をニョーボーの父親に出してもらったりするので出資者を明確にするために
会社組織にして株を持ってもらったりしている。出ない給料は
<省略> [全文]
- 533 ) 猫舌.
- [2006/11/29(水) 18:46]
- これを細々やって家業になっちゃって、気がついたら資本をじわじわ喰っていく
つうのが大部分のパターンでこれはもしかすると世界中そうかもしれない。
でもやっぱり新しい良い商品を思いついて、市場規模を調査して、出資者を募って
いついつまでにどのくらいの規模の会社にしようと計画する人もあるわけです。
- 534 ) 猫舌.
- [2006/11/29(水) 18:50]
- そうでなくても経営センス一つで家族でやっている総菜屋が大ブレークして
有名デパートの惣菜コーナーに出店するほど大きくなってということもあるわけです。
そのとき自分が育てた商売を、「売る」事ができるか。「わたくし」の情念やプライドから
切り離して外部から出資者を募ったり経営を任せたりあるいは全部売って資本家になったり
といったドライな決断が、ニホンのトウサンにはなかなか見られないな。とい
<省略> [全文]
- 535 ) 猫舌.
- [2006/11/29(水) 18:53]
- こゆ、ビジネスは「家業」として人生に絡むものではなくて(そゆ生き方もいいですが)
大きく育てて、いつか市場でビジネスごとウッパラって資本家に転じようとする
ドライさが、欧米のビジネスにはあるよなあという感想です。
ニホンのトウサンには、会社を育てようともせず個人資産を膨らますことに汲々としたり
バカ息子に託そうとしたり、耄碌しているのに代表者の地位を捨てずに市場から見放される
ような経営
<省略> [全文]
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管理者:KFJ
KoMaDo-1.5a