「五条楽園って」其の伍
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30 ) 熟れた芸妓.
[2004/02/09(月) 23:30]
8月のある日のこと、部屋の灯りを消して、彼の腕の中にいるとき、心地よさから、私は思わず目がトロンとしてしまいました。すると彼は私の目を見つめ、私の目の形は「下弦の月」のようだと言うのです。私は、彼の存在感がどんどん私の心の中に入り込むのを感じ、彼の目を見つめ返し、「もう、これ以上入ってきたらあかん」と口走ってしまったのです。彼は、「どこへ?」と訊くので、私は胸を押さえ、「ここへ」と答えました。
 お座敷が終わって帰るときは、いつも彼と並んで置屋さんの前まで歩きました。人目を避け、ほんの束の間を、まるで少女のようにどきどきしながら。並んで歩くと、私の頭の天辺は彼の肩までしかなく、このまま彼の肩にもたれかかりたい。このままどこまでも歩き続けたい。そんなことばかりを考えていました。そして、置屋さんの前で、「じゃあ、また」と言って別れると、彼の背中が見えなくなるまで、私は陰に隠れてそっと見送っていたのです。
 ところが、9月最初の週、お座敷で彼と逢ったのを最後に、彼は姿を見せなくなりました。「どうしたのかな?」と思いながらも、「今は、きっと忙しいんだ」と自分を慰めていました。でも、待てど暮らせど、彼の姿を見ることはなかったのです。「今週こそ、来てくれるかな?」「来週は来てくれるかな?」そんなことばかり考えていました。
 10月になりました。置屋さんに一通の絵葉書が届いていました。「誰だろう?」そう思い差出人の名前を見ると、彼からでした。「京都と神戸の間を行ったり来たりで忙しい。元気にしていますか?身体に気をつけてくださいね」そんなことが書かれてありました。「ああ、私のことをちゃんと覚えてくれている」私は、その絵葉書をビニールのケースに入れて、片時も離さず持ち歩きました。そして、一人でいるときに、何度も何度も読み返していたのです。「きっと、もうじき来てくれる」そう信じ彼を待ち続けたのです。

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管理者:KFJ
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